2018年2月17日土曜日

録音あるいは声の撮影

簡易スタジオとしては、あと良い椅子が欲しいところではある。
先日、買ったボーカルマイク、使ってみました。やはり、録った声にボリュームがあるというか自然な存在感がある。マッスな存在感よりシャープな解像感が欲しい、というなら、コンデンサーマイクなんでしょうけどね。あと、静音環境ってなかなか手に入らないので、余計な音が拾われにくいのも良い。最初に使ったバンドの練習スタジオなんて、他の部屋で鳴らすドラムがズンズン響いて来るわ、自分たちの声は声で、備品のドラムヘッドに共鳴するわ、で、厳しかった。予算かけてこんな程度なら俺の部屋だって悪かないだろう、とも思い、宅録に方針転換。とはいっても、しょせん木造の集合住宅。近所の生活音はすり抜けるし、おのれのチープな椅子の軋む音やら、お腹の鳴る音やら、果ては、指と録音機のタッチノイズまで気になりだす。おまえ、ジョン・ケージかよ!っていうか(笑)レコーディングって難しいなぁ(俺的には「声の撮影」なんて呼んでますが)。作品に関しては現在製作進行中なので語るのが難しいけど、いま言えるのは、紺乃鳳文さん河南由良さんのキャスティングは完璧だっていうことくらいかな。紺乃さんの声に重なる由良さんの声、両者の相性がとても良いと思う。会話劇というより、スポークンワーズのデュエットという感じ。あと、そうそう、これも新たに導入したレコーダーZOOMのH5、なかなか使いやすいです。SONYのレコーダーも気になるけど、キャノン端子付いてないんだもんなー。Hi-FiとかHi-Resとか、解像感がすべてじゃないよね!

2018年1月30日火曜日

ボーカルマイクを買った。

SHURE PGA 58
映像製作のマイクというと、ビデオカメラに繋いで使うガンマイクを指すことが多い。だが、その日は映像は要らないのでカメラなし。小型のレコーダーを持って音楽スタジオに行ったら、ボーカル用のスタンドとマイクがあったので、それを使ってみることにした。マイクの種類には大きく二つあって、電源の要らないダイナミックマイクと、電源の要るコンデンサーマイクがある。カメラ用はほとんどコンデンサーマイクで、スタジオに備え付けてあるのはほとんどダイナミックマイク。その後、別の場で自分のガンマイク=コンデンサーマイクを使ってみて、音の差に驚いた。言葉で説明しにくいが、ボーカル用のダイナミックマイクは当然、人間の声を録るためのもので、カメラマイクはもっとニュートラルに幅広い音声を録るようにできている(はずだ)。今回の録音で欲しいのは自然な声の響きだったし、ただ、同じダイナミック方式でも機種差や個体差は絶対にある。そこで、自分用のボーカルマイクを買うことにした。わりと安かったし。カメラのガンマイクなんて、業界標準のものが十数万円、コスパを考えて選んだ俺のものでも7万円する。このSHUREのPGA58はケーブル付きで、5,500円!なんだろね?この差。さっき届いたばかりなので、まだ試してないが。まぁガンマイクとボーカルマイクの構造の違いや市場的な需給の差が価格差になっているのだとは思う。

2018年1月28日日曜日

「おはよう」の宇宙

たとえば、演劇では舞台空間や俳優が実在して、セリフが語られる。舞台美術はそこがどんな場所や空間であるかを示唆し、役者は生身の存在を晒す。物語の背景もキャラクターも「劇場」や「身体」といった舞台芸術を構成する要素の実在性が表現の一部を担保しているので、結果、そこで語られるセリフには登場人物の感情的リアリティを求められることが多い。だが、あたりまえのことだが、人間の言葉は感情表現をするためだけのものではない。感情だけではなく、というか、その感情表現にしても、登場人物の思想や哲学、知性や教養、あるいはむろん日常的な経験や記憶、そして、現実世界の出来事、その流動性や偶然性に委ねられたアマルガムを成す。物語空間における言葉はその言語的意味を運ぶだけではなく、膨大な情報の破片を練り込んでいるのである。とするならば、たとえば、「おはよう」という一語をとってみたところで、それは多種多様な無数の「おはよう」の拡がる大海に漂う、唯一無二の一語ではないだろうか。あるいは、こうもいえる。言葉は何らかの意味を放り込む器であるが、その器自体が浮かび漂う無限空間の一部でもある。こうした言語が喚起する想像的な時間や空間の複雑さ、広大さにとても惹かれる。人間の言葉を舞台空間の重力や俳優の実存から分離し、宇宙論的な空間に解き放ちたい、とも思う。そのために、劇場を離れ、音と映像という映画の形式を利用して、その言語=宇宙を再構成できないか、と考えている。

2018年1月21日日曜日

溝口健二のBlu-ray 3作品

発売 KADOKAWA
『雨月物語』と『山椒大夫』は従来のDVDも持っていて、画質もけっして悪くないし、普通に鑑賞するならそれで十分かもしれない。一方、たとえば、現代の『ブレードランナー2049』みたいな作品だと、 Blu-rayどころか4K Blu-rayでさらに高画質、高音質と言いたくなるのも無理はない。ただ、ああいうスペクタクル映画は、再生環境の整った劇場で観てこそのものなので、さほどコレクションしたくはならないなぁ。それに溝口作品のようなクラシック映画の「美しさ」というのは『ブレードランナー2049』の「美しさ」とは本質的に違うような気がする。現代の商業映画で語られる「美」が映像単独の、いわゆるビジュアルの問題に還元されがちなのに対し、映画の歴史がその進化の指標としてきたのは「美」と「物語」の密接な関係だった。逆にいうと、現代映画のある種の部分は「美」と「物語」の絆を分断してしまったのである(かならずしもそのすべてが劣化だとか退行だとかとは思わないが)

2018年1月7日日曜日

レイリ第1〜4巻

原作 岩明均、漫画 室井大資、秋田書店、各巻600〜620円+税
これ、めちゃめちゃおもしろい!岩明均の単著は制作ペースに限界があるので、作画を別の人に任せたら、新しい仕事を引き出せるんじゃないかという出版サイドの作戦なんだろう。室井の絵は岩明より武骨で泥臭いが、悪くない。表情も繊細。レイリの立居振舞いは十分可愛いし。1〜2巻は「戦死を望む少女」という奇抜なキャラクターを立てるため多少リキみすぎの感もあったが、3〜4巻ではストーリー漫画の醍醐味が存分に味わえる。泣くところはキチッと気持ち良く泣かせてくれるというか、この涙の味わいがね、秀逸。あと、アクション描写が総じて素晴らしい。たとえば、剣の捌きも明晰でリアリティがあり、時には戦いの力関係を表現したり、バイオレンスの重みをちゃんと感じさせる。ワンランク上の戦国時代劇だね。続刊も楽しみ!(戦国バトルというところで比べるのもなんだが、個人的には『キングダム』よりリアリズムを重視しているところが好き)

2018年1月2日火曜日

2018年!

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お雑煮、旨いが、食い過ぎた。
あらためて、新年あけましておめでとうございます!今年は良い年になると思います。いや、良い年にしましょう!
日本の政治や社会はあいかわらず糞ですけど、昨年あたりから、糞と糞でないものの区別がはっきりしてきたような気がします。まだどこかに糞がこびりついてるなら、今すぐシャワーを浴びて洗い流したい。心機一転ですよ!
そういえば、2017年のまとめで触れられなかった『午後8時の訪問者』(2016年)のDVDが出ているそう!おすすめ!昨年は『牯嶺街少年殺人事件』(1991年)解禁の陰に隠れてしまいましたが、2010年代の映画を語るなら、ダルデンヌ兄弟への讃辞や共感を書くべきでした。『サンドラの週末』(2014年)も良かったし、ロベール・ブレッソン→ダルデンヌ兄弟のホットラインが実を結んだというか。『ロゼッタ』(1999年) の頃は半信半疑だったのです…ごめんなさい!
あと、2018年は、ずっと準備中のガートルード・スタインの詩の映像化計画、これをまず完成させたい!

2017年12月28日木曜日

2017年の映画

『LOGAN/ローガン』のヒュー・ジャックマン
今年のメモを見返して、見た映画の本数があまりに少なく愕然とした。でも、にもかかわらず、映画的記憶と呼びたい感覚が濃厚な一年だったのも確かだ。その源泉に『牯嶺街少年殺人事件』があるのは間違いない。この作品に関しては、丹生谷貴志氏の論考「エドワード・ヤンの夏の環」(フィルムアート社「エドワード・ヤン—再考/再見」所収)が素晴らしかったので、興味のある方は読んでみてほしい。そういえば「映画的記憶」なんて言葉、最近はあまり聞かれなくなった。観客がみずからの身体に刻んだ映画の断片的イメージとともに生きるという営みは、その記憶を得る前と得た後では、ごく小さなものであるとはいえ、それまでとは異なる新しい人生といえるのではないだろうか。刹那の感情の昂揚だけでは得られない体験だ。その意味で、ジェームズ・マンゴールドの『LOGAN/ローガン』もまた、一人の男の死のイメージを深く記憶に刻んだ映画だった。さらに、ドゥニ・ヴィルヌーヴの『ブレードランナー2049』も見事な出来栄えで、ライアン・ゴズリング演じるKの死せる身体を舐めるような移動撮影は、やはり、アメリカ映画ならではのものだろう。こうしてみると、一人の少女の死を二人の男の死でもって贖うかのような2017年だったような気もする。