2018年1月21日日曜日

溝口健二のBlu-ray 3作品

発売 KADOKAWA
『雨月物語』と『山椒大夫』は従来のDVDも持っていて、画質もけっして悪くないし、普通に鑑賞するならそれで十分かもしれない。一方、たとえば、現代の『ブレードランナー2049』みたいな作品だと、 Blu-rayどころか4K Blu-rayでさらに高画質、高音質と言いたくなるのも無理はない。ただ、ああいうスペクタクル映画は、再生環境の整った劇場で観てこそのものなので、さほどコレクションしたくはならないなぁ。それに溝口作品のようなクラシック映画の「美しさ」というのは『ブレードランナー2049』の「美しさ」とは本質的に違うような気がする。現代の商業映画で語られる「美」が映像単独の、いわゆるビジュアルの問題に還元されがちなのに対し、映画の歴史がその進化の指標としてきたのは「美」と「物語」の密接な関係だった。逆にいうと、現代映画のある種の部分は「美」と「物語」の絆を分断してしまったのである(かならずしもそのすべてが劣化だとか退行だとかとは思わないが)

2018年1月7日日曜日

レイリ第1〜4巻

原作 岩明均、漫画 室井大資、秋田書店、各巻600〜620円+税
これ、めちゃめちゃおもしろい!岩明均の単著は制作ペースに限界があるので、作画を別の人に任せたら、新しい仕事を引き出せるんじゃないかという出版サイドの作戦なんだろう。室井の絵は岩明より武骨で泥臭いが、悪くない。表情も繊細。レイリの立居振舞いは十分可愛いし。1〜2巻は「戦死を望む少女」という奇抜なキャラクターを立てるため多少リキみすぎの感もあったが、3〜4巻ではストーリー漫画の醍醐味が存分に味わえる。泣くところはキチッと気持ち良く泣かせてくれるというか、この涙の味わいがね、秀逸。あと、アクション描写が総じて素晴らしい。たとえば、剣の捌きも明晰でリアリティがあり、時には戦いの力関係を表現したり、バイオレンスの重みをちゃんと感じさせる。ワンランク上の戦国時代劇だね。続刊も楽しみ!(戦国バトルというところで比べるのもなんだが、個人的には『キングダム』よりリアリズムを重視しているところが好き)

2018年1月2日火曜日

2018年!

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お雑煮、旨いが、食い過ぎた。
あらためて、新年あけましておめでとうございます!今年は良い年になると思います。いや、良い年にしましょう!
日本の政治や社会はあいかわらず糞ですけど、昨年あたりから、糞と糞でないものの区別がはっきりしてきたような気がします。まだどこかに糞がこびりついてるなら、今すぐシャワーを浴びて洗い流したい。心機一転ですよ!
そういえば、2017年のまとめで触れられなかった『午後8時の訪問者』(2016年)のDVDが出ているそう!おすすめ!昨年は『牯嶺街少年殺人事件』(1991年)解禁の陰に隠れてしまいましたが、2010年代の映画を語るなら、ダルデンヌ兄弟への讃辞や共感を書くべきでした。『サンドラの週末』(2014年)も良かったし、ロベール・ブレッソン→ダルデンヌ兄弟のホットラインが実を結んだというか。『ロゼッタ』(1999年) の頃は半信半疑だったのです…ごめんなさい!
あと、2018年は、ずっと準備中のガートルード・スタインの詩の映像化計画、これをまず完成させたい!

2017年12月28日木曜日

2017年の映画

『LOGAN/ローガン』のヒュー・ジャックマン
今年のメモを見返して、見た映画の本数があまりに少なく愕然とした。でも、にもかかわらず、映画的記憶と呼びたい感覚が濃厚な一年だったのも確かだ。その源泉に『牯嶺街少年殺人事件』があるのは間違いない。この作品に関しては、丹生谷貴志氏の論考「エドワード・ヤンの夏の環」(フィルムアート社「エドワード・ヤン—再考/再見」所収)が素晴らしかったので、興味のある方は読んでみてほしい。そういえば「映画的記憶」なんて言葉、最近はあまり聞かれなくなった。観客がみずからの身体に刻んだ映画の断片的イメージとともに生きるという営みは、その記憶を得る前と得た後では、ごく小さなものであるとはいえ、それまでとは異なる新しい人生といえるのではないだろうか。刹那の感情の昂揚だけでは得られない体験だ。その意味で、ジェームズ・マンゴールドの『LOGAN/ローガン』もまた、一人の男の死のイメージを深く記憶に刻んだ映画だった。さらに、ドゥニ・ヴィルヌーヴの『ブレードランナー2049』も見事な出来栄えで、ライアン・ゴズリング演じるKの死せる身体を舐めるような移動撮影は、やはり、アメリカ映画ならではのものだろう。こうしてみると、一人の少女の死を二人の男の死でもって贖うかのような2017年だったような気もする。

iPhoneでキーボードを使う。

Battopの Bluetooth keyboard
ちょい大きめのiPhone 8 Plusを選んだ理由の一つに、ノートよりもタブレットよりも小さな携帯パソコンとして、特にワープロが使えたら良いなぁという期待があった。ならば、キーボードは必須だ。キーボードって使い勝手の大事なデリケートな機械だし、実機を触るため電気屋を見て回ったが、結局、通販で買った。安かったし。サイズはMacの標準キーボードよりひと回り小さいくらいかな。まぁこれならストレスになるほど窮屈じゃないし、iPhoneのスタンド機能もある。折り畳むと、長めの筆箱といったところ。細かな不満がないわけではないが、まずまずの製品だと思う。

2017年12月25日月曜日

ぼくたちはこの国をこんなふうに愛することに決めた

高橋源一郎 著、集英社新書、860円+税
朝日新聞の論壇時評をまとめた『ぼくらの民主主義なんだぜ』(朝日新書)がすっごい良い本で感銘を受けたんだけど、彼の小説作品は読んだことがなかった。でも、またなにか読みたいなとは思っていたところに、この新刊『ぼくたちはこの国をこんなふうに愛することに決めた』が出ると聞きつけ、手に取った。新書なのですぐ読めそうだし、ただ、新書って普通はフィクションじゃないし、意味ありげなタイトルも教養書っぽいが…完全に小説だった!いや、実際、少年たちが自分たちの「くに」をつくろう!と考えていろいろ調べたり学んだり議論するという話が多いので、教養書的なテーマも隠してはいない。にもかかわらず、終盤のファンタジックでドラマチックな展開はエンターテイメントとしても秀逸!主人公ランちゃんの父親のモデルは、おそらく作者の高橋源一郎氏自身で、ランちゃんとお父さんのエピソードには、高橋氏の本好きならではの価値観や心情が垣間見られる。「こんなにたくさん本があって、おとうさんはこの本をぜんぶ読んだの?」「まさか!もっている本をぜんぶ読むなんて、本が好きなにんげんは、そんなことはしないよ。絶対にね!」以下、子ども相手の本好き談義なんて笑いながら頷けるし(まぁオタクなんだよね)、その一方、作品の中心テーマとも関わっているので、本好きにお薦めのファンタジー小説デスと紹介してもあながち間違ってはいないと思う。読後感もとても爽やかで、なぜかジンワリ泣いてしまうような素晴らしい作品でした!

2017年12月23日土曜日

2017年の演劇

日本のラジオ『カーテン』
俺にとって2017年の演劇最大の発見は特定の作品というより、ある種の演劇の見方だった。他の演劇ファンにはあたりまえのことかもしれないが、映画畑でン十年すごした者にとっては新鮮な発見だった。というか、映画的な見方は演劇を見るときの補助線になるけれど、先入観や固定観念にもなるってことだ。ちなみに、俺は映画というのをずっと「距離の芸術」だと考えていた。大雑把にいうと、映画はクローズアップで個人の感情を測り、編集で人物の相関を組み立て、ロングショットで事件や状況やテーマを統合する。つまり、カメラと被写体の「距離感」をもとに世界を築き上げる。だから、演劇を観に行くと一度座った席からライブの芝居を見続けなきゃならないだって?演劇って、なんて不自由なんだ!と最初は感じた。俺が第一に理解すべきなのは、演劇は舞台=空間を造形するものだから見る者の距離感が多少違っても本質的な問題ではないということだったのだ。でもまぁこれくらいの見識はわりとすぐ身に付いたような気がする。だが、次のレベルに達するまで5年かかった。それは演劇というのが「重さの芸術」だという認識である。映画を論じるときはその「距離感」を作品のクオリティの重要な指標にしてきたが、演劇ジャンルならば、それは「無/重力感」ということにでもなるだろうか。むろん、それは物理的な質量ではなく、いわば(社会的な)実存の重さや軽さであり、精神的、心理的、感覚的なものである。だから、重いものが急に軽く感じるという意味での無重力感もあるし、軽いものが急に重く感じるという意味での重力感もある。たとえば、ジエン社の『夜組』で幽霊か地霊のように夜の時間をさまよう人々。日本のラジオの『コクミンノキュウジツ』や『カーテン』で描かれる外の世界から分断され、舞台=空間に軟禁された人々。不安に押し潰されるような、でも、心地好くもあるような。重いような、軽いような。劇団きららの『はたらいたさるの話』が醸しだす成熟した空気も絶妙だった。こうした舞台作品は登場人物の存在の重みが何に由来するのかを考察することで、観客の無/重力感を刺戟しているのだろう。また、別の視点からのアプローチに驚かされたものもある。アガリスクエンターテイメントの『そして怒濤の伏線回収』はリアリズムの重みを劇中で破壊する(まるで「イキガミ」の時限爆弾のように!)というコメディならではの実験作だったし、アマヤドリの『崩れる』はコミュニケーションツールとしての言葉の重さと軽さをめぐる過酷でユーモラスな闘争の記録だった。現代演劇はこの無/重力的社会=空間の中で人間が生きる術を探っているようにも思える。