2014年4月29日火曜日

さよなら、KONA dew


今から2〜3年前に歯飛びの症状が発覚し、当時、パンク修理にもちこんだ自転車屋のオヤジに「時々ギアが外れるんですよね」と相談したら、チラッと見て、リアのディレーラーがまっすぐじゃない、フレームが歪んでいるんだから買った先に相談しろ、と言われた。えーっ!そんな大事なのか!どうしよう?と思っているうちに症状が治まったので、そのままダマシダマシ乗り続けていた。


しかし、この春、本格的に歯飛びが酷くなったので、再度別の自転車屋「サイクルベースあさひ」へもちこんだ。ここの店員はちゃんと試乗して点検し、チェーンリングの問題を指摘してくれた。そして今日、廃車だ!練馬区資源循環センターへ直接もちこむことにして、手数料400円。再利用に役立ってくれれば嬉しいけど…

2014年4月26日土曜日

Paddy Wagon 2014


7年ぶりに新車を導入した。KONAというメーカーのロードバイク、シングルスピード。Paddy Wagonの2014年モデル!

スポーツバイクといえば大胆なボディにカラフルな原色をまとったものが多いなか、トラディショナルなシェイプにマット系の渋いカラーリング…むろん、俺も派手なサイクルウェアを着るつもりはなく、あくまでカジュアルユースな一台。

ただ、日々の生活のほとんどがチャリ移動だから、いわば、外出着の一種というか、取り外しの利く強化身体の一部といってもいい…だから、長く使いたい、5年、10年、いや死ぬまで使っても…と、気持ち的にはそう思う。

シングルスピードにしたのは、まず予算。変速ギア付きのモデルより3万円安く、メンテナンスも簡単、ランニングコストも抑えられるだろうという目論み。実際に乗ってみて、停止状態からの加速にパワーが必要だったが、ダッシュなんかレース以外には要らない。

ドロップハンドルにしたのも、人生初めて。握るポジションが選べるので、これはめっちゃありがたい!ただ、手前のフラットな部分を握ることの多い遅速走行時、ブレーキレバーの位置が遠くなってしまうのが面倒。まぁ慣れていくしかないだろう。

にしても、最大の悩みは、またしてもキックスタンドを付けるか否か。

最後は便利さに屈してしまうのか…

2014年4月21日月曜日

距離の言語

映画っていうのは距離の芸術じゃないかとよく思う。写真もそうなのだが、カメラを使うかぎり、フレーミングという空間を切りとる行為によって表現せざるを得ない。だから、ロングショットとクローズアップの距離感の違いが空間的なイメージを超え、心理的なイメージまで表現したりする。ただ、映画だと、時間もまた距離感を生成するので、写真よりもより複雑な距離を表現することになる。

そんなわけで、映画畑で育った俺が舞台演劇を見に行っていつも気になるのが、演劇作品が意外に距離感というものに無頓着なことが多いということだ。むろん、劇場の物理的制約は大きいし、観客ひとりひとりの見る位置によって目に映る様子が違うから、厳密な距離感を想定しにくいということは理解できる。

だが、それでもたとえば、

男A「財布を盗んだのはお前だろ?」
男B「いや、ぼくは拾っただけです。急ぎの用を済ましたら、交番に届けるつもりでした」

なんて二人の会話があったとすると、当然、男Aは男Bとの距離を詰めようとするはずだし、男Bは男Aとの距離を広げようとするはずである。

そこに距離のドラマが生まれる。

にもかかわらず、狭いアクティングエリアで多くの役者がまるで通勤電車かバスの中でのように台詞を交わすこともある。そんな場面に出喰わすと、そういうのはラジオドラマでやってくれよ!と思ったりする。

ただ、逆に言うと、距離感の問題をよく考えた舞台は総じて魅力的だ。

たとえば、Theater Planning Networkの「黄色い月」や「宮殿のモンスター」は床に貼ったテープで正方形の舞台を仮想的に作り上げ、そのエリアの内と外をどう動くかで距離のドラマを練り上げていた。昨年見た劇団昴の「汚れた手」は舞台のほとんどを巨大な階段で埋めてしまったが、その段差、つまり、高低の差を平面的に見せることでシュールな距離のドラマを構築していた。一昨日見た劇団だるめしあん「俺の彼女がこんなに浮気なわけがない」も良かった。序盤にダンサブルでスペクタクルなシーンを見せ、物語が進むにつれ舞台の中心で交わされるダイアローグに焦点を絞っていくという構成には、演劇的な距離感のダイナミズムを感じた(普通、逆の構成が多い気がするので新鮮だったし、演劇だからこそ言葉を大切に扱うという意味でも素晴らしかった)

舞台芸術は人や物の実存において映像芸術を圧倒しているわけだから、その本質に近いのは、映像プロジェクションで飾り立てたきらびやかな風景ではなく、人と人、人と物、物と物とが生みだす「距離の言語」ではないだろうか?

まぁ偏った見方かもしれないが、そういう関心で舞台を見る者もいるということだ。

2014年4月20日日曜日

小さな赤いビー玉


といっても、ジャック・ドワイヨンの映画のことではない。今夜、見てきた『ガチゲキ!! vol.2』——東京の王子小劇場でやっている演劇祭の話である。主催者の紹介文をそのままコピペすると、

シェイクスピアをテーマに、6劇団が競演するコンペ形式のフェスティバル!1公演2劇団による「2作品ワンセットのガチバトル」公演。終演後には観客投票を実施し、即日開票にて勝敗を決定します。

というものだ。

そして俺が見たのが、劇団鋼鉄村松「家族がやたら恋愛に理解のあるロミオとジュリエット」vs 劇団だるめしあん「ぼくの彼女がこんなに浮気なわけがない」の対決の回。観客は小さな赤いビー玉と青いビー玉を1個ずつ渡され、2作品を見た後、自分の支持する作品に投票する。ちなみに、劇団鋼鉄村松が良いと思った人は赤い玉を投票し、劇団だるめしあんが良いと思った人は青い玉を投票。

「鋼鉄村松」の作品はそのタイトルからもなんとなく想像がつくと思うが、テレビでやりそうなひと捻りしたアイデアで押し切るコント風の芝居。一方「だるめしあん」の作品は原作の「オセロー」を換骨奪胎した学園ものコメディだった。演劇作品としてのオリジナリティで判断するなら、勝負はほぼ決しているようにも見えたが…

双方の芝居の中身をめっちゃ強引に要約すると「みんな純愛ストーリーが大好きだよね」と朗らかに語る鋼鉄村松に対し「ヤリマン女子高生にだって言い分がある」と熱く主張するだるめしあん…

観客はどちらに共感するか?

やはり、勝負は決まっていたのか?

そう、俺の当初の感触とは真逆で、鋼鉄村松の完勝だったのだ!

俺がどちらに一票を投じたかは、手元に残ったこのビー玉の写真通りである…にしても…だから…民主主義なんて嫌いなんだ!!!

(でも、このイベントはとっても楽しく、お薦めです!)

2014年4月18日金曜日

Number PLUSのオシム語録


ひさしぶりに雑誌を買い、オシムの言葉を齧ってみた。

いやぁ、あいかわらずおもしろいね。シンプルな言葉の切れ味は全盛期の蓮實重彦以上かも。ブラジルW杯を控えたこの時期なので、本誌(Sports Graphic Number PLUS、文藝春秋、1,000円)は、ザッケローニ率いる日本代表チームについての論評を中心に採録している。そして俺のような過去の試合を忘れかけている青二才ファンでも興味深く読める。ただ、オシムが聞き手を退屈させないようおもしろおかしく語っているのではなく——つまり小手先の話術ではなく——自分の考えを相手に理解させるために言葉を選んでいるということは大事だなと思った。

たとえば、オシムは「本田の右足は階段を上ることにしか役立たない」と語るが、こんな毒っ気の強い比喩、思いつくだけですごいなぁと半分呆れつつ、ただそれは、ワールドクラスのプレイヤーたちが左右両足を使いこなすという現代サッカーについてのマクロな視点と、個々のプレーを吟味するミクロな視点を常に結びつけて考えているということでもあると思う。あるいは「(日本のプレイヤーは)守備はともかく、攻撃となると途端に献身的なプレーが減り消極的になる。実は日本人は、チームメイトを助ける気がないのではないか」なんて発言になると、日本人の島国根性というか保守性というか未知のものに対するビビリな性格を鋭く突いていてさらに驚く。

「サッカーを考える」とはこういうことなのか…

2014年4月15日火曜日

チェーンの歯飛び

フロントのスプロケット(部分)

自転車のチェーンとチェーンリングがうまく噛み合わず「歯飛び」する症状が酷いので自転車屋に行って見てもらった。

前方のチェーンリングの歯が摩耗しているし、いくつか部品交換をしないと直らないだろうと言われた。具体的には、伸びているかもしれないチェーンや、3段変速式のチェーンリングの集合体「スプロケット」とそのスプロケットとペダルをつなぐ「クランクアーム」などを取り替えることになり、予算は、工賃あわせて2万円近くになるだろうとのこと。ちなみにこのクロスバイク、たしか、5万円くらいで買ったものだ。

どうする?

このままじゃペダルを十分踏み込めないだけでなく非常に危険なので放ってはおけないのだが、購入してもう丸6年、毎日1〜2時間は乗っているはず。ならば、チェーンやスプロケットだけでなく、他のもろもろのパーツも疲弊消耗していることは間違いない…しかるべくして…

新車に替えたほうがいいのかも?という考えが浮かんだ。

どうする???

2014年4月13日日曜日

もののけ姫


Blu-ray Discになったのをきっかけに「もののけ姫」を見直した(さすがに素晴らしい画質!)。前回見たのは1997年の公開時なのでもう15年以上ぶりになるが、作品の印象は当時と少しも変わらなかった。

あらためて凄いなと思ったのは、これが今年公開されたとしてもまったく古びていないし、おそらくは、さらに15年経っても色褪せないだろうと感じられたことだ。たとえば、1984年の「風の谷のナウシカ」をいま見ると「救済の物語」としてややロマンチックに見えてしまうのは確かだし、「もののけ姫」の次の2001年に公開された「千と千尋の神隠し」以降になると、こんどは物語のリアリティというより映像表現のイマジネーティヴな豊かさを追求した作品が多くなっている。だから「もののけ姫」は「風の谷のナウシカ」の物語を「変奏」しただけではなく、ここで「完成」させたのだと思う。

初めて「もののけ姫」を見たときもっとも疑問に感じたのは「呪いの解けたアシタカはなぜ故郷に帰らなかったのか?」ということだった。でも、遅まきながら納得したのは、アシタカは大好きなサンの近くで暮らしたかった、こともあるだろうが、それ以上に、自滅した愚かな人間社会を建て直す必要があった、ということ。ナウシカのような救世主もいない、人間の業と悲劇にのみこまれた場所だからといって、そこから逃げるわけにはいかない ——「もののけ姫」の物語が語りかけるのはそんな厳しいメッセージである。

2014年4月5日土曜日

魔女の宅急便


クローズアップが足りない。清水崇監督の「魔女の宅急便」を見た印象をひとことで言うとそんな感じだった。でも、必要なのは「正しい」クローズアップだから、単純にクローズアップを一つ入れれば良いときもあればそれだけではすまないこともあるだろう。いずれにせよ、登場人物の相互関係、すなわちキキをとりまく人物が彼女をどう見てどう感じてどう振舞うかという点において、描写が全体的に甘いというか、そんなフルショットばっか使ってちゃわかんねぇよ!とイライラしながら見ていた。

たとえば、トンボが飛行実験に失敗してケガをしたとき、一見、気を失っていたようにみえる彼の傷口に、キキが魔法の薬を塗るシーン。墜落したトンボを捜す人々が近づいて来たので、治療を終えたキキは早々に立ち去るが、後々、トンボは「キキが薬を塗ってくれたとたん酷い痛みがスーッと引いた」と語る。それはそれで良いというか、キキの献身にトンボが必ずしもその場で反応を示す必要はないのだが、それでも、キキが治療する途中に、トンボのクローズアップが絶対必要だろうと思う(たとえ目を閉じていたとしても)。なぜなら、そのクローズアップは登場人物の相互関係を編み上げるフックのようなものであり、かつ、二人の人間のあいだに一つのサスペンスを仕掛ける(二人に友情は芽生えるのか?というような)視点だからである。

その後、飛べなくなって凹んでいるキキの弱音を聞いたトンボは、彼女に、苦手な自転車に乗る練習をさせそれを手伝うが、そこでも彼のクローズアップは見られない。俺はトンボがキキに自転車の練習をさせてやろうと気づく瞬間が見たかった(たとえ無表情であったとしても)。それは、その一瞬こそが、トンボの思いやりが実体化し映像化する奇跡の一瞬であるからだ!俺には、清水崇のこのような淡白な描写は、まるでトンボという少年の真心などどうでもいいと思ってるとしか受けとれないのである。まぁ俺が腕時計でもチラ見しているあいだに鋭いクローズアップが挿入されていて見逃したという可能性はなきにしもあらずだが、そういう描写不足の不満はトンボだけではなく他の登場人物にもしばしば感じたので、この映画のこの街の人々の思いを伝えるカットが少なすぎるのではないか?という疑念は膨らむばかりである。

あと、宮崎アニメに必ず出てくるからあえて外したようにも見えるが、街の人々の思いを見せるという意味でも、魅力的な年寄りが出てこないのは残念だった。黒猫のジジももうちょっと愛らしく造形してほしかった。ここらへんもアニメ版との距離をとりたかったのかもしれない。それでも、キキ役の小芝風花は素晴らしかったし、トンボ役の広田亮平も物語が進むにつれどんどん魅力的に見えたけれど…

もう一つ、観客の誰もが気になるところがある。人命のかかった飛行船の事故をクライマックスにもってきたアニメ版「魔女の宅急便」に対し、実写版では、病気のカバの子どもの救助活動をもってきたことの是非について。

これも、むろん、カバの命より人間の命のほうが重いからカバにしたのは失敗だとは絶対言わないが、このカバの子どもが人々の絆の象徴となるような仕掛けはやはり必要ではなかっただろうか?ラジオのニュース程度では人々の関心の一つであることしかわからないし、せめて、あの動物園の飼育員のヤンキー兄ちゃんがカバのまるこをいかに可愛がっているかというエピソードくらい欲しい(その意味で、あの兄ちゃんはきわめて重要な役回りなのに演出も演技もすべてが雑すぎて目もあてられなかった〜それが俺にとってはこの映画最大の謎である〜)。でなければ「カバのまるこ」は単に「キキの分身」であることしか表現しないし、それではキキの自己成長あるいは自己救済の物語としては合格でも、街の人々の役に立つことで異端者の魔女として受け入れられるという、もっと大きな物語はどこかへすっとんでしまう。

自分自身を救うためだけに空を飛ぶキキを、あの街の人々はほんとうに心から褒め讃え、迎え入れたのだろうか?スクリーンの前の観客たちは愛することができたのだろうか?

2014年4月4日金曜日

DVDケースを断捨離セヨ

ELECOM CD/DVDケース

これらは96枚収納タイプなので、5個で総計480枚収納可。映画のDVDの保管に使っています。俺の場合、ホワイトが日本映画、ブラックがゴダール&アジア映画&アニメ、ライムグリーンがヨーロッパ映画、レッド&ブルーがアメリカ映画、という大雑把な区分で、大雑把にぶちこんでみました(DVDの付録に分厚い冊子が付いてたりするものは、買ったままにしてありますが)

正直、映画のDVDパッケージってパッとしないものが多いので、これで十分でしょう!

ELECOMの従来の収納ケースも、一応、3色展開していましたが、地味な事務用品風のデザインに小さなインデックスカードが付いてるというものでした。それを総とっかえしてみたわけです。俺みたいな、ガサツな人にこそお薦め!

2014年4月1日火曜日

Sachtler FSB6T/TT


Sachtlerシステム FSB6T/TT(ローポジション)

ムービー用の三脚を新調した。

今までLibecのLS-22DVを使っていたが、高低の調整能力が72〜147cmなので、諸々のイベントで背後から撮影するとき必ずネックになった。それがこのSachtlerのカーボン製レッグだと44〜187cmまで伸縮可能!高さは文句ないし、低さも44cmというと、ちょうど膝辺りからのローアングルが狙える。昔なら、たとえば、小津安二郎はローアングルのために専用の三脚を特注し、オーソン・ウェルズは撮影セットそのものをローアングル仕様に設計した(床下に三脚の設置スペースを加え、仰角に天井を付け加えた)。技術の進化はデジタルだけではない、ということだ。そんなユーティリティを確保しつつも十分軽くLS-22DVより500g重いだけ扱いやすい、素晴らしい三脚である。

ところが、雲台のセッティングに問題があった。

俺のカメラAG-HPX175を載せると、前後の重心バランスが今一歩のところで完全にとり切れない。Sachtlerの三脚は雲台のスムーズな操作感覚を売りにしているから、そして俺も、そこを期待して買ったわけだから、一瞬呆然となった。ただ、2〜3kgの軽いカメラなら致命的な欠陥にはならないだろうし、繊細なフレームワークにどの程度影響するかは、のちのち調べてみるつもり。もし、気になるようだったら、カメラに重りを付けたりして調整してみようと思う。