2014年4月5日土曜日

魔女の宅急便


クローズアップが足りない。清水崇監督の「魔女の宅急便」を見た印象をひとことで言うとそんな感じだった。でも、必要なのは「正しい」クローズアップだから、単純にクローズアップを一つ入れれば良いときもあればそれだけではすまないこともあるだろう。いずれにせよ、登場人物の相互関係、すなわちキキをとりまく人物が彼女をどう見てどう感じてどう振舞うかという点において、描写が全体的に甘いというか、そんなフルショットばっか使ってちゃわかんねぇよ!とイライラしながら見ていた。

たとえば、トンボが飛行実験に失敗してケガをしたとき、一見、気を失っていたようにみえる彼の傷口に、キキが魔法の薬を塗るシーン。墜落したトンボを捜す人々が近づいて来たので、治療を終えたキキは早々に立ち去るが、後々、トンボは「キキが薬を塗ってくれたとたん酷い痛みがスーッと引いた」と語る。それはそれで良いというか、キキの献身にトンボが必ずしもその場で反応を示す必要はないのだが、それでも、キキが治療する途中に、トンボのクローズアップが絶対必要だろうと思う(たとえ目を閉じていたとしても)。なぜなら、そのクローズアップは登場人物の相互関係を編み上げるフックのようなものであり、かつ、二人の人間のあいだに一つのサスペンスを仕掛ける(二人に友情は芽生えるのか?というような)視点だからである。

その後、飛べなくなって凹んでいるキキの弱音を聞いたトンボは、彼女に、苦手な自転車に乗る練習をさせそれを手伝うが、そこでも彼のクローズアップは見られない。俺はトンボがキキに自転車の練習をさせてやろうと気づく瞬間が見たかった(たとえ無表情であったとしても)。それは、その一瞬こそが、トンボの思いやりが実体化し映像化する奇跡の一瞬であるからだ!俺には、清水崇のこのような淡白な描写は、まるでトンボという少年の真心などどうでもいいと思ってるとしか受けとれないのである。まぁ俺が腕時計でもチラ見しているあいだに鋭いクローズアップが挿入されていて見逃したという可能性はなきにしもあらずだが、そういう描写不足の不満はトンボだけではなく他の登場人物にもしばしば感じたので、この映画のこの街の人々の思いを伝えるカットが少なすぎるのではないか?という疑念は膨らむばかりである。

あと、宮崎アニメに必ず出てくるからあえて外したようにも見えるが、街の人々の思いを見せるという意味でも、魅力的な年寄りが出てこないのは残念だった。黒猫のジジももうちょっと愛らしく造形してほしかった。ここらへんもアニメ版との距離をとりたかったのかもしれない。それでも、キキ役の小芝風花は素晴らしかったし、トンボ役の広田亮平も物語が進むにつれどんどん魅力的に見えたけれど…

もう一つ、観客の誰もが気になるところがある。人命のかかった飛行船の事故をクライマックスにもってきたアニメ版「魔女の宅急便」に対し、実写版では、病気のカバの子どもの救助活動をもってきたことの是非について。

これも、むろん、カバの命より人間の命のほうが重いからカバにしたのは失敗だとは絶対言わないが、このカバの子どもが人々の絆の象徴となるような仕掛けはやはり必要ではなかっただろうか?ラジオのニュース程度では人々の関心の一つであることしかわからないし、せめて、あの動物園の飼育員のヤンキー兄ちゃんがカバのまるこをいかに可愛がっているかというエピソードくらい欲しい(その意味で、あの兄ちゃんはきわめて重要な役回りなのに演出も演技もすべてが雑すぎて目もあてられなかった〜それが俺にとってはこの映画最大の謎である〜)。でなければ「カバのまるこ」は単に「キキの分身」であることしか表現しないし、それではキキの自己成長あるいは自己救済の物語としては合格でも、街の人々の役に立つことで異端者の魔女として受け入れられるという、もっと大きな物語はどこかへすっとんでしまう。

自分自身を救うためだけに空を飛ぶキキを、あの街の人々はほんとうに心から褒め讃え、迎え入れたのだろうか?スクリーンの前の観客たちは愛することができたのだろうか?