2014年5月10日土曜日

熱風 日本のいま!

「熱風」2014年5月号(スタジオジブリ)
ジブリの発行する「熱風」が全80ページ強の約半分をジャーナリスト青木理のインタビューに割いていて、読み応えのあるものだった。現代日本の政治状況を論じていて、その個々の知見に関しては目新しい意見を打ちだすようなものではないのだが、青木氏が俺とほぼ同世代の1966年生まれというところにひかれた。

現在の政治的危機の一端は、戦争を体験した世代が現役を退き、戦時戦後の記憶も薄れだし、その世代交代の隙間に、ちょっと頭の足りない復古主義者が強引にでしゃばりだしたことにあるという気がしていて、ならば、その「歴史的記憶の捻れ」がいまの思想状況を作りだしているともいえるので、そうすると、いま20〜30歳代の上の世代に属する自分の責任も感じざるを得ない、というところである。

おもしろいのは、その同世代ジャーナリストへの聞き役の一人になっているのが、俺らよりもさらに先輩世代1948年生まれの鈴木敏夫だったりして、あぁこのジジイ喰えねぇなというか、なかなかたいしたもんだなぁと思った。

たとえば、このインタビューのなかで、日本の戦争責任や戦後補償について語るとき、鈴木氏はこんな体験をもちだしてくる。「亡くなったうちの親父がね、戦時中、中国に行っていた。その親父の最後の言葉に僕はびっくりしました。突然こう言い出したんです「あれだけひどいことをすりゃあね、その恨みは晴れない」って」

こういう体験談は数多の書物に書かれてきたはずだが、時が経ち、人が死に、書物しか残らない時代になると、その歴史的記憶は多くの記述なかの一つでしかなく、後世の者がいかようにも弄べる素材になってしまう——しかも自己本位に——そこに「歴史的記憶の捻れ」が生じ「歴史修正主義」が生まれる契機があるのだろう。だから、隣接世代間の生の対話ってほんと大事だよな、と思う。

むろん、活字や写真で緻密に正確に記録することは重要だが、生の人間の生の言葉で生の感情を交えて、人と人との間で血の通った記憶を受け渡すことの価値を考えさせてくれる鈴木先輩なのだった。