2014年8月28日木曜日

シネマ1&2


ゴダールは偉大な色彩画家である。彼は個別化された大きなジャンルとして色彩を用い、そこにイメージが反映するようにするからである。…『フレディ・ビュアシュへの手紙』は純粋状態の色彩の過程を抽出していて、高と低があり、青い天上のローザンヌと、緑の地と水のローザンヌがある。二つの曲線、あるいは周縁、そして二つの間には灰色、円、直線がある。色彩はほとんど数学的なカテゴリーとなり、そこに街は自分のイメージを反映させ、そこから一つの問題を生みだす。三つの系列、三つの物質の状態、ローザンヌの問題。映画のあらゆるテクニック、俯瞰撮影、仰角撮影、ストップモーションなどは、この反映のためにあるのだ。ローザンヌに「ついての」映画の注文に応えていないというわけで、非難がわき起こる。彼はつまり、ローザンヌと色彩の関係を逆にし、ローザンヌを、あるカテゴリー表にのせるように、色彩の中に引き入れたのだ。これはまさにローザンヌだけにふさわしいことであったのに。これはまさに構成主義であって、色彩、ローザンヌの言説、その間接的ヴィジョンによって、この映画はローザンヌを再構築したのだ。[ジル・ドゥルーズ「シネマ2*時間イメージ」261頁、宇野邦一ほか訳、法政大学出版局、2006年]
フレディ・ビュアシュへの手紙(1981)
ゴダールは『フレディ・ビュアシュへの手紙』のなかで、スイスの街ローザンヌについての短編映画をつくれと言われたけど、なかなかうまくいかない、と語り始め、このローザンヌは木々や湖や空に囲まれている、緑と青の間にある街なんだ…と言葉を続ける。カメラもまたそのナレーションやラヴェルの楽曲「ボレロ」の響きとともにローザンヌをさまよい、時に、坂道を弾むように歩く人々のモーション/ストップモーションを貫入させながら独自のリズムを刻んでいく。つまり、ドゥルーズは、ゴダールが「色彩」の映像や言語や音響のイメージをもとに、いかに「画家のように」ローザンヌの街を描きだしたかを述べるのだが、上記の一節は「思考と映画」の章に収められている。すなわち、画家にとって絵具の色が絵画的思考の重要な道具であるように、映画作家にとっても光の諧調である色彩が思考の道具である、ということか。