2014年8月17日日曜日

怒りの日


ひょんなことから、カール・Th・ドライヤーの『怒りの日』(1943)を見直したんだけど、めちゃめちゃ凄かった!もしかしたら、映画って70年以上ぜんぜん進化してないのかも?と思うくらいの破壊力だ。

物語は、簡単にまとめるとこんな感じ。舞台は、まだ「魔女狩り」が行われていた17世紀のデンマーク。小さな村の牧師アブサロンは親子ほど歳の離れた若き美女アンヌを後妻に娶っていた。そこへ息子マーティンが帰郷し、いつしかアンヌとマーティンは恋仲となる。この危うい三角関係が崩れるとき、新たな「魔女狩り」がまた始まる…

つまり、一つの共同体がなんらかの不安定な要素を孕んだとき「魔女狩り」がその均衡を回復させる役目を果たす様子を描いているのだが、いうまでもなく、魔女が魔女である根拠も証拠もない。しかし、保守的な共同体を維持するには「魔女狩り」が必要だった。では、ドライヤーはなぜ、そんな「魔女狩り」の映画を撮ったのか?

この映画の歴史的背景には、ナチスドイツに支配されたデンマークという現実があった。ところが、ナチスを匂わせるものは何一つ描かれていない。ナチスを連想させるような悪の組織など描けるはずがないからだろう。しかし、むしろそれゆえに、人間社会の残酷きわまりない摂理を描きだすことになったのだと思う。

「魔女狩り」とは社会の「異物」を排除するシステムであり、その排除の儀式が恐怖の支配装置として機能し、社会全体をがんじがらめにしてしまう。20世紀の「ユダヤ人迫害」と17世紀の「魔女狩り」はこの恐怖に支配された空間において交差する。そして、この映画を見るわれわれは、排除のシステムの普遍性にいまだ戦慄させられることになるのだ。