2014年8月31日日曜日

差別意識と能力主義

なんでヘイトスピーチなんて生まれるんだろうと時々考える。

もしかしたらそれって、職場で有休や産休がとりにくかったり、サービス残業は普通だというような空気や意識、つまり、自分が「権利」を主張すると周りから「陰口を言われるんじゃないか」という不安と深い関係があるような気がする。ちなみに、そんな潜在的な不安を雇用側あるいは管理側が嵩にかかって利用したのがいわゆるブラック企業というやつじゃないだろうか?

ヘイトスピーチを吐き散らす者はヘイトされることの恐怖を自覚しているからこそ、それを武器として使うわけで、それは組織のエリートが構成員の不安を利用して人々を支配するのとどこか似ている。どちらがより巧妙かという違いに格段の差があるにせよ。

たとえば「外国人」なんだから「日本人」よりも悪条件で働くのが当然、みたいな差別意識と、「無能な社員」は「有能な社員」より劣ってるんだから会社のためにサービス残業しろみたいな能力主義とは、論理構造が同じではないか?つまり、、、個の価値より集団の価値を優先するという点で???

ただ、それはまだ表面的な認識であって、おそらくは、個の価値と集団の価値が乖離していて、個を選ぶか?集団を選ぶか?という両者が排他的関係にあるというその問題設定に本質的錯誤がある、というべきじゃないだろうか。だから、人権意識の改善とは個と集団の調和について考え直すということであり、それは日本社会の暗い空気、ブラック性の改善にも繫がってくると思うんだよね。

にしても、国連から何度も人種差別に関する改善勧告を受けたりするだけじゃなく、そういう委員会の会議の場で日本の官僚が逆切れしたり、もうみっともなさすぎだろという感じだけど、それは近代化に対応し切れていない日本の歪んだ空気が育んだものであって、官僚個人が愚かという話ではないのかもなぁと思ったりもする。

国連の委員会がヘイトスピーチを法規制するよう勧告