2015年1月30日金曜日

前売りチケットの愉しみ

さっそく、映画の前売りチケットを購入。
普通に見たいくらいの作品だと、上映終了間際に慌てて駆けつけることも多いのだが、こういう核爆弾レベルだと忘れたくても忘れられない。ちなみにゴダールの新作は明日公開。ただ、明日は行く余裕があったとしても行かない。「俺、ゴダール好き」みたいなクラスタに加わりたくないからだ。^^;
いやぁ思惑はいろいろ複雑でね。「ゴダール映画」は死ぬほど好きでも「ゴダール好き」はチと苦手なのだ。ゴダール大好きって人で気が合うのは、、、俺の友人でパッと思いつくのは二本木かおりさんくらいかなぁ?
なんてゆーか、とにかく知的エスタブリッシュメントとしてゴダールを愛したくないというか。。。実際そんな理由で愛してるわけじゃないんだけど。。。まぁいいや。
そして前回のエントリーで書いたアレクセイ・ゲルマンの『神々のたそがれ』となると、もう本年度ベストワンの可能性大という予感に、ただの予感にビリビリ感電死しそうで、俺的ビッグイベントになりつつある。つっても、公開は3月21日だから、まだ間がある。
うううっ。
待ち遠しい。
楽しみすぎて、たまらん。

2015年1月28日水曜日

A・ゲルマン、亡くなっていたのか!

不覚。
アレクセイ・ゲルマン…現存する世界最高の映画監督の一人であることは間違いないと思っていたので。
遺作となったこの新作予告編も凄いよな。個々のカットの力は傑作を予感させるに十分。
ロシアの監督は生涯数本しか撮らない巨匠なんて人も多いけど、スタジオシステムもないし、現代の映画芸術という意味ではむしろそのほうが自然じゃないか…
ハリウッドの売れっ子監督が撮った、なんてのとは別次元の、映画に触れて戦慄したいというなら、こういうのを見るべきだ。安っぽい感動や感傷を生産/消費するというサイクルに一撃を喰らわす体験も大事だと思うしね。

2015年1月18日日曜日

人間という動物の残像

アメリカのTVドラマ「ウォーキング・デッド」の第1シーズンを見た。退屈せずに楽しめたし、ゾンビものというのは数多の亜流・傍流・パロディを生みだしつつ現在にいたるので、「ウォーキング・デッド」が人間とゾンビの戦いをパニック&サスペンスとして正面から語ろうという姿勢は、むしろ、大胆なアプローチなのかもしれない。気持ちの良いドラマだった。

そして、あらためてゾンビというキャラクターは映画が生みだした最大の創造物だと思った。「ウォーキング・デッド」で「ウォーカー」と呼ばれ、ロメロ映画では「リビングデッド」と呼ばれる存在。資本主義消費社会を背景にした本能や欲望のみで動くという意味で、われわれ現代人の鏡像でもある存在。社会学的にはそういうふうに分析されるのだろうが、ゾンビというのは、映像学的にもひとつの象徴的存在になるような気がする。

「映像」というのはそこに現存在はなく、過去の残像が映しだされているわけだが、ゾンビにしても、死んだはずの者がみずからの記憶や意志を奪われさまよい続けるのであって、そこには、ある人物が生きていたという事実の残像のみが揺らめいているとはいえないか?つまり「ゾンビ」には「人間という動物」の儚いイメージが刻まれているのである。だから、たとえば、舞台演劇でゾンビというキャラを効果的に活用するのは意外に難しいかもしれない。いうまでもなく、舞台上の俳優とは現存在であり、ゾンビのもつ儚さを本質として欠いているからだ。その意味でゾンビとは、きわめて映像的なキャラクターだといえるだろう。

そんなことを考えさせてくれた「ウォーキング・デッド」だが、第1シーズンはひと通りの状況を素描してみたという感触なので、これから本格的におもしろくなることを期待したい。

2015年1月16日金曜日

怒りと創造

皆殺しの天使
昨日、投稿した世界映画トップ10という記事を書くのは、そのリストに通底する何かを探るという作業でもあった。で、一晩置いてあらためて見直すと、それはやはり「怒り」の精神だったように思う。

いつだったかtwitterのタイムライン上で偉い評論家が「怒り」なんていうのは人間の感情のなかでも未熟なもので、人々の現実を見る目を曇らせ、理性や知性を破壊するものにすぎない。それに医学的にも不健康な状態だ、なんて書いていて、そう言われれば、まぁ上等な感情じゃないけどさ…と言い負かされたような気分になった覚えがある。

でも一方で、映画というのは、少なくとも物語映画というのは、人間の感情と切っても切り離せないものだし、そのなかでもユニークなのが「怒り」ではないかと思っていた。だからたとえば、俺が自主映画の製作を企画したときにまず考えたのは、この作品を存在させるのは俺の怒り以外何物でもない、ということだった…

ごく単純に喜怒哀楽という感情の分類があったとして、いちばんやっかいなのは、たしかに「怒り」だろう。喜びや楽しみはもちろん、哀しみですら、人々が世界と折り合いをつけ、現実を受け入れる過程で生じる感情なのに、怒りだけは、その世界を拒絶するからだ(田辺イエロウの漫画「結界師」に描かれた「絶界」という術を想起してもらうとわかりやすい)。ただ、それは逆にいえば、怒りがそれだけ純粋な感情であり、そしてその感情は人を必然的に孤独にするので、持続するには個のパワーも要る。怒りは否応なしに、人を孤高の創造者に仕立て上げるのだ。

むろん、喜びや哀しみが創造的じゃないと主張するつもりはない。しかし、創造的精神としての「怒り」をみなぎらせた傑作映画のリストを眺めれば、怒れる心が他の感情に劣らぬ可能性をもつことはおのずと理解されるのではないだろうか?

2015年1月15日木曜日

世界映画トップ10

ハズバンズ
雨月物語(溝口健二、1953年)
怒りの日(カール・Th・ドライヤー、1943年)
ウイークエンド(ジャン=リュック・ゴダール、1967年)
エクソシスト(ウィリアム・フリードキン、1973年)
大地の子守歌(増村保造、1976年)
階級関係(ストローブ=ユイレ、1986年)
ドッグヴィル(ラース・フォン・トリアー、2003年)
ハズバンズ(ジョン・カサヴェテス、1970年)
皆殺しの天使(ルイス・ブニュエル、1962年)
もののけ姫(宮崎駿、1997年)



世界映画の俺的トップ10を選んでみました。順不同です。ベストというよりは、やはりトップ。いま自分の心を占めている10本というか。最近見てなくて、めっちゃ見直したい!とか、偶然見直したら、頭のなかを暴れまくっている!なんてのを基準にしたので、来年選び直したらリストの中身は変わっているかも。まぁ自分の好みや問題意識を濃厚に反映しているのは確かかな。リストアップしながら「disposal」って「ウイークエンド」を作り変えたかったのか!と、ちょっとした自己発見も。^^;

2015年1月8日木曜日

さよなら/こんにちは

ユリイカ 2015年1月号
雑誌でこうした特集が組まれるというのは、ゴダールの新作が日本公開されるということだ。祝福すべき2015年!

パラパラとめくってみる。彼のインタビューから…

「方法なんてものはない。作業があるだけだ」

まさに!

映画のタイトルにも使われている「アデューadieu」という言葉について、スイスのヴォー州では「さよなら」という意味と「こんにちは」という意味の両方があるという。

なるほど!

他には…たぶん、全体の半分どころか1/3も読まないと思うけど、この二つを知り得たので、それだけで買う価値はあったな。

2015年1月1日木曜日

新年のご挨拶2015

JR名古屋駅構内(2014年1月3日)

あけましておめでとうございます!
本年もよろしくお願いいたします!

さて、2015年にやることは、まず「disposal」の一般公開ですね。映画祭などで上映できれば良いですが、無理なら無理で別の手立てを考えます。

近年強く感じるのは、おそらく、311をトリガーに、ただでさえ経済成長期を過ぎたアジアの老国の背骨がキイキイ軋み、政治にかぎらぬさまざまな意識や価値観が保守化、みなが新自由主義に脅されているという日々。

社会不安に人々の心は萎縮し、暴論が響き、正論が沈黙し、合理化というよりは目先だけの功利主義、愛国というよりは無知蒙昧なだけの排外主義が「本音」だなんて言われ、その結果、弱者や少数派への無理解、無関心、不寛容が肥大化する…という、にっぽん!

1980年代、バブル経済の浮かれた空気にも違和感を覚えたけれど、そんなの今のヤバさの比じゃない。2010年代、自分自身責任ある歳になったというのもあって、危機感120%です。

「disposal」ではそういう「出口なし」の状況を比喩的に語ったので、ぜひ今年、どこかで見ていただければと思います。といってもむろん、危機があるなら打ち破らねば!という願いも込めたつもりなので、後味は悪くないはず、かな?

新しい企画もドンドンやりたいですね!

まだ頭の中からっぽですが… ^^;

みなさん、ひとりでは何もできないので、ぜひ、ご協力のほど、よろしくお願いいたします。m(._.)m