2015年1月16日金曜日

怒りと創造

皆殺しの天使
昨日、投稿した世界映画トップ10という記事を書くのは、そのリストに通底する何かを探るという作業でもあった。で、一晩置いてあらためて見直すと、それはやはり「怒り」の精神だったように思う。

いつだったかtwitterのタイムライン上で偉い評論家が「怒り」なんていうのは人間の感情のなかでも未熟なもので、人々の現実を見る目を曇らせ、理性や知性を破壊するものにすぎない。それに医学的にも不健康な状態だ、なんて書いていて、そう言われれば、まぁ上等な感情じゃないけどさ…と言い負かされたような気分になった覚えがある。

でも一方で、映画というのは、少なくとも物語映画というのは、人間の感情と切っても切り離せないものだし、そのなかでもユニークなのが「怒り」ではないかと思っていた。だからたとえば、俺が自主映画の製作を企画したときにまず考えたのは、この作品を存在させるのは俺の怒り以外何物でもない、ということだった…

ごく単純に喜怒哀楽という感情の分類があったとして、いちばんやっかいなのは、たしかに「怒り」だろう。喜びや楽しみはもちろん、哀しみですら、人々が世界と折り合いをつけ、現実を受け入れる過程で生じる感情なのに、怒りだけは、その世界を拒絶するからだ(田辺イエロウの漫画「結界師」に描かれた「絶界」という術を想起してもらうとわかりやすい)。ただ、それは逆にいえば、怒りがそれだけ純粋な感情であり、そしてその感情は人を必然的に孤独にするので、持続するには個のパワーも要る。怒りは否応なしに、人を孤高の創造者に仕立て上げるのだ。

むろん、喜びや哀しみが創造的じゃないと主張するつもりはない。しかし、創造的精神としての「怒り」をみなぎらせた傑作映画のリストを眺めれば、怒れる心が他の感情に劣らぬ可能性をもつことはおのずと理解されるのではないだろうか?