2015年4月29日水曜日

読み始めた…

荒川弘の「鋼の錬金術師」は大ファンだったが、現在連載中の「銀の匙」はなんとなーく読んでない。いざ読めばそれなりにおもしろいのだろうが、おそらく、俺のバトルやアクションやバイオレンスが大好きという野蛮な趣味志向がジャマしている。でも、荒川弘の漫画は読みたいしなぁ、とジレンマを抱かえていたところに本作登場。

なんたって「戦記」だからね。で、まずは1巻だけ読んだ。この手のものだと幸村誠の「ヴィンランド・サガ」が基準になるので、荒川の絵は、ちょっと迫力不足かなーとも感じるが、読み進めて行くと、彼女ならではの人情ものの味わいも活きてきて楽しく読める(ちなみにTVアニメは未チェック)

しかし、とりあえずこの感覚だと、長く続けないと面白味が出てこないのも確かだし、さてさてどうなることやら。新刊が楽しみな定番作品になってほしいのだが…

2015年4月23日木曜日

演劇の値段

俺はそんなに多く見てるわけではないので「演劇好き」の感覚ではないのかもしれん。でも、だから逆に「素人」の感覚ではあると思う。たとえば、1,000円だったらもう楽しく感じられたらなんでもオッケー。2,000円だったら、なんというか普通に、等身大の感覚で演し物を評価すると思う。そして、3,000〜3,500円という俺の知る小劇場の標準的設定だと、見る前からそれなりに頑張ってお金を出している気分になるから、たとえば、作品の芸術性・娯楽性以外の部分、公演の運営などにスキがあるとそこも突っ込みたくなる。5,000円に近づくと、俺の場合、たとえ個人的に誘われても基本辞退するところから検討が始まる。もし、出かけたとしたら、娯楽的な満足では元がとれたとは感じないだろうし、記憶に残るようなインパクトを求めてしまうからだ。ただでさえ口が悪いのに、行ってもロクなことにならない。ましてや、5,000円を超えると、こんどはもう1万円でも大差ない気がする。最近だとピーター・ブルックの日本公演が5,500円だったらしい。あれなら誘われたら行っても良かったかな?それくらい5,000円の閾というのは深く存在する感じだなぁ。

で、参考に先日の記事に書いた演劇週間の作品にいくら出したかというと…

「長井古種 日月」2,800円(前半割引、当日券3,200円)
「あの子の飴玉」2,000円(2作品で4,000円、当日券は1作品3,000円)
「ぼくの、おばさん」2,000円(2作品で4,000円、当日券は1作品3,000円)
「鳥獣戯画版・好色五人女」2,000円
「神奈川県庁本庁舎大会議場短編演劇集」3,000円

そして、この主催者の決めた金額というのは、俺個人の懐具合とも別に、主催者が自分たちの演し物をどう認識し、観客をどう考えているかということも反映しているに違いない。そこには文化・芸術に対する見識というものも透けて見えるはずだ。まぁいずれにせよ、よっぽどのことがなければ、5,000円を超える金は出せないな。俺はね。

2015年4月21日火曜日

春の演劇週間

覚書きなので、言葉足らず、あしからず。

4月10日 あやめ十八番「長井古種 日月」日暮里d-倉庫
*この作品は総合芸術としての演劇を志したというよりはちょっとした芝居仕立てのショウとして受け取るべきなんだろうな、と思った。でないと、演劇だけでなく、劇中で語られる映画や映画狂のイメージ、音楽やロックスターのイメージなどにしてもあまりに恣意的で安っぽく見えてしまい、これらに愛情をもっている人に不快感を与えかねないと思ったのだが…そんなことない?

4月15日 劇団だるめしあん「あの子の飴玉」王子小劇場
*2015年の東京にこの作品が生まれ落ちたのは僥倖というべき!フェミニズムをかっ飛ばして、まさに東京の演劇、というか東京のための演劇だと思う。坂本鈴は「こじらせてるけどね」と付け加えるかもしれないが。

4月17日 3匹が着る「鳥獣戯画版・好色五人女」Gallery&Spaceしあん(上野)
*古民家の庭や座敷を上手く使って工夫を凝らし、古典的な話をいかに楽しんでもらいたいかという気持ちが伝わってきたし、アットホームな雰囲気もとても良かった。ただ、一つ留保を付けて譬えるなら、甘いケーキのようなお菓子ならみんな喜んでくれるんじゃないかと努力した結果、砂糖やチョコやクリームを使いすぎてしまったという感じがなきにしもあらず。1時間50分の作品だったんだけど、これを半分くらいの尺に収めて、あと半分は、あられや煎餅、和菓子だったり、あるいは渋いお茶だったり香り高いコーヒーだったりも出したほうが、全体のバランスが良くなったかも…

4月18日 劇団きらら「ぼくの、おばさん」王子小劇場
*王子小劇場では15・16日が「あの子の飴玉」のみ、17〜19日は「飴玉」と「ぼくの、おばさん」を交互に上演した。俺は初日に「飴玉」を見て、この日「おばさん」を見て、その翌日にもビデオ撮影のためにうかがって2作品を連続して見たのだが、だるめしあんの連中の演技が妙にきららの影響を受けているように見えたのは気のせい?(笑)きららは俳優の所作にマイムを取り入れているらしく、スムーズな身体の動きと発話発声の妙を楽しむものとして成熟した舞台作品に仕上げていた。大人の演劇っていう感じ。

4月18日 神奈川県庁本庁舎大会議場短編演劇集 theater 045 syndicate「音」ほか(横浜)
*演劇だけでなくダンスショウなども含めて各30〜40分の舞台が4作品あったが、「音」は単独作品として勝負できる。あの教師役の役者さん、はまってたね。素晴らしかった。舞台自体がもっと低い位置のほうが良かったけど、会議場の空間の使い方はとても良かったと思う。俺は舞台脇の席に座って失敗した。^^;

2015年4月12日日曜日

おと虫でLPを買う。

音楽CDを売却しようと江古田のおと虫へ。ここは俺の大学時代にはすでにあったから相当古いお店。その時は同じ江古田でも、駅前の浅間神社の近くにあったような気がするんですが、店の規模や雰囲気はあいかわらず。そして査定してもらっている間にこんな魅惑的なものを見つけてしまった〜佐野元春「Christmas Time in Blue」のレコード。
ジャケットが素晴らしいので、CDよりもLPが断然良いっす。写真にも棚の様子が写っていますが、レコードの品揃えも良いんですよね。そして衝動買い。しかし、考えてみると、たぶん、このレコード持ってたはずなんです。CDに切り替えるときにLPは全部売り払ってしまったので。で、2015年には、CD売ってまたLPを買ってるわけですね〜まぁプレーヤーは持っていないのですが。^^;

2015年4月6日月曜日

ラブバトル

20年以上新作を見ていない上に、ジャック・ドワイヨン70歳の作品らしいので「彼も老いたな」という感想になってしまわないかと心配しつつ映画館へ向かった。が、とんでもない!めちゃくちゃおもしろかった!

俺の理解するところでは、これは男と女の肉体的なケンカから肉体的なセックスに移行する過程をいかに自然にスムーズに見せるか、という映画であり、しかも、それを物語によって説明するのではなく、主に身体的なアクションを通して表現する、というのがこの作品に与えられたミッションである。

だから、一見、即興的なケンカの演技が延々展開するが、おそらくは入念なリハーサルを重ねて練り上げたものだろう。一般的にみて、ケンカというのは心理的な反発や乖離をともなうものであり、セックスというのは心理的な接近や結合をともなうものだが、身体運動的には強度の差があるにせよ、どちらも似たり寄ったりなので、これはなかなかおもしろいアイデアだと思う。

そして、このケンカバトルをセックスの前戯として位置づけるなら、100分の上映時間を通して、ずっとセックスしかしていない、という映画でもある…

にしても、この映画の男と女の闘争は見る者を飽きさせない。たとえば、リビングルームで男が女をソファにぶん投げると、その着地の勢いでシャツがはだけ、片方の乳房が露出してしまう。それに気づいた男がスッとシャツの端を降ろして隠してやるのだが、その気遣いに女は反抗し、みずから胸をはだけてしまう。いやぁ、たしかにバトルしている!

また、この映画が軽快なリズムを刻んでいて、深刻な心理劇に陥っていないのも素晴らしい。心理劇自体は映画よりもむしろ文学の得意技ではないか、と考えるからである。

2015年4月4日土曜日

恐怖分子、再見。


恐怖分子、エドワード・ヤン、1986年
渋谷のシアター・イメージフォーラムで、エドワード・ヤンこと楊徳昌の「恐怖分子」を再見した。以前見たのが中国語字幕のDVDだったので、そうか!こういう物語だったのか!という発見も多々あり。しかしこの映画、ストーリーのわかりづらさでも有名だから、どのみち2回くらいは見ないと厳しいのかもしれない。

ちなみに、俺はこの作品を、エドワード・ヤンがサスペンス映画の枠組みの中で、都会の凍り付いた空気を描きながらショットの強度を探求したというふうに理解した。だから、ジャンル映画ないし娯楽映画としてはやや愛想がないというか、物語をもう少しわかりやすく語ることもできるんじゃないかとは思った。ただまぁその一方、まさにこれが映画だ!という感覚にビンビン痺れさせてくれるので痛し痒しではある。
イメージフォーラムの地下の階段
むろん、カップルがケンカ別れするシーンにプラターズの「煙が目にしみる」というロマンチックな音楽を流したり、カメラや写真の小道具としての使い方もロマンチックだし、映画の細部には人々の愛や友情、台湾という土地の叙情をさりげなく描き込み、エドワード・ヤンならではの作品としてまとまっている。だから「恐怖分子」が暴力的で陰惨な物語を語るにもかかわらず、その後味はけっして悪くない。たとえば、アメリカならコーエン兄弟だったり、ヨーロッパならミヒャエル・ハネケだったりと比べるなら、これは欧米とアジアの違いかもしれないとも思うが、それならその意味でも、エドワード・ヤンはアジアを代表する映画作家と呼ばれるべきだろう。

しかし、それにしても「恐怖分子」の次に手がけた「クーリンチェ少年殺人事件」が見られるようにならないと、楊徳昌映画の心臓が迷子になったままという気がしてならない。今日のイメージフォーラムも満員に近かったし、機は熟している。期待しよう!