2015年5月16日土曜日

インヒアレント・ヴァイス


P・T・アンダーソン「インヒアレント・ヴァイス」
この映画について書かれたウェブ上の言葉には「なんじゃこりゃ」「わけがわからない」「おもしろくなかった」というものもあるが、まったく信じ難い!
最高におもしろかったのに!!
こんなアメリカ映画、そうそうお目にかかれないのに!!!
俺は見終わってしばらくは「良いなぁ良いなぁ」とそれしか言葉が出てこなかった。ほんとうに素晴らしい映画で、見事なアメリカ映画だと思う。
にもかかわらず、なぜ、戸惑う人がいるのだろう?
おそらくは、ストーリーの説明が曖昧だとか、陰謀や謎解きといったドラマチックな仕掛けが十分強調されていないとかそういう理由だろうが、別にいいじゃん?たかが物語の細部がわからないくらい???
曖昧に表現したのは曖昧に見てほしいからだろうし、知的な意味で物語が気になるなら、後から調べるとか、見直すとかすればいい。
映画なんだからまず大事なのは、音と映像を直接体験することではないか?
たとえば、登場人物たちの会話。
この映画作品は、犯罪に巻き込まれるひとりの探偵の行動を追っているので、演技演出的にもひそひそ話が多いのだが、その言葉の響きを見事に映像に刻んでいる。小さな囁き声ながらも明晰で力強く滑らか、適度なリズムと緊迫感があり、非の打ちどころがない。こんなハイクオリティな音声を聴かせるには、役者たちの技量だけではなく、様々なデリケートな作業が必要に違いない…
視覚的な仕事としても、70年代ニューカラーの写真家たちの作品を彷彿させるような映像の色彩はとても魅力的だし、主演のホアキン・フェニックスも、混沌とした犯罪世界の闇に輝く純粋な瞳をみずから体現、息を呑むような存在感を放っていた。
ただ、俺が思うに、この映画は全編を通し、登場人物のひそひそ話的音声を軸にして組み立てられたのではないだろうか?
劇伴にしても、けっしてジャズ風というわけではないものの、感情表現を抑制したかのような旋律をサウンドトラックのベースとし、台詞の音声をその上に乗せたりしている。俺の好みとしては、これならもっと音楽を切っても良いのになぁと感じるところもなくはなかったが、あまりアートフィルムっぽくしないという判断なのだろう。
そして、これらの技術的意図が示唆するのは、この映画の作り手たちがいかにピンチョン文学をリスペクトして仕事をしたかということである。なので、ちょっと原作を読まずにいられないなぁと帰り道に本屋へ寄ったが、在庫切れだったのが残念。