2015年9月23日水曜日

そぞろの民

「そぞろの民」作・演出 中津留章仁
俺が西村俊彦くんと撮った『廃棄』という短編映画はひどくまわりくどい反原発作品といえる代物なのだが、ただそれは、そのまわりくどさこそが芸術表現にとって重要なものだと考えたからだ。回り道をする必然がなければ、ドキュメンタリーにするか直接デモにでも行ったほうがよっぽど有益だと思う。

先日見たTrashmastersの演劇作品『そぞろの民』はその芸術表現のまわりくどさをある程度ショートカットして扱っていた。つまり、社会問題を直接扱うという意味で野心作らしいということは事前に知っていたので、俺はやや警戒心を抱きつつ見に行き、そして、やっぱりなぁという感慨を抱いた。

まわりくどさの仕掛けもあるにはあったが、あの構成(ネタバレになるので詳細は書かない)は強引というほかなく、この物語なら、なぜコメディにしないのか!と不満だった(もちろんブラックコメディになるだろうが)。ひょっとすると、シリアスに語ったほうが商売的に有利と判断したのだろうか?でも、このままだとやはり、脚本・演出ともに失敗と評価せざるを得ない、というのが俺の意見である。

また『そぞろの民』は、ざっくりいって日常に隠れた政治的日和見主義を批判しているわけだが、政治的姿勢について本気に考えるなら、賛成でも反対でもない第三の立場は、芸術表現ならではの自由な見解や異論を語るのに相応しい貴重な領域である。にもかかわらず、そこを批判告発の対象とすることによって新しい視点を獲得する可能性をみずから捨ててしまったようにもみえる。

あるいは、もっと突っ込んでいえば、問題の難しさは、昔ながらの日和見主義よりも、日本の大衆が政治的対立を意識的にも無意識的にも回避し、あれよあれよと非政治的に脱色してしまうというような社会学的特性にこそあり、その政治的意識の忘却システムについて分析したほうが、より現代的な意味があるのではないだろうか?

ただ、役者はみな魅力的だし、舞台美術はとても気に入った。昭和の香り豊かというか、ノスタルジーを喚起する方法として、丁寧に細部を再現するというのもそれはそれで効果的だし、あの装置で他にもいろいろな物語を見てみたいと思った。

とまぁこう文句を言いつつも、様々な問題を考えさせてくれるので見に行って良かった。みなさんにも、ぜひ見てほしい作品だ。

*『そぞろの民』は9月27日(日)まで、下北沢駅前劇場にて上演中!