2015年12月23日水曜日

2015年の映画回顧


『サンドラの週末』のマリオン・コティヤール
アレクセイ・ゲルマンの『神々のたそがれ』(2013)が2010年代を代表する映画になるのはまず間違いなく、俺もゲルマン映画の全作品『道中の点検』1971『戦争のない20日間』1976『わが友イワン・ラプシン』1984『フルスタリョフ、車を!』1988)を見直したし、まさにゲルマンの2015年だったが、俺的成果はそれだけでもなかったから、今年の映画体験は充実していたと思う。ゲルマンへの対抗馬は、なんといってもジャック・ドワイヨンの再発見だ。ドワイヨン映画が日本で次々に公開されたのは1980年代末から90年代にかけてのことで、ジョン・カサヴェテスが再評価された時期と重なっている。映像スタイルでも二人の作家は似ていて、当時はドワイヨンをフランス版カサヴェテスという眼で見ていたのだが、ポピュラーな作風ではないため次第に名前を聞かなくなり、映画祭で限定上映される程度の存在になってしまった。と同時に、俺も作品に触れる機会を逸していたところ、ひさしぶりの新作公開『ラブバトル』(2013)をきっかけに、『三人の結婚』(2009)『アナタの子供』(2012)を新文芸坐が上映してくれた。カサヴェテスは1989年に亡くなってしまったが、ドワイヨンはその後も「俳優の映画」を探求し、みずみずしい映像を撮り続けていた。俺の知らないあいだも…という、このことに勇気づけられたのである。また、今年はブレッソンの『ラルジャン』(1983)『やさしい女』(1969)を再見、未見だった『罪の天使たち』(1943)をスクリーンで見ることができたし、フィリップ・ガレルの新作『ジェラシー』(2013)もあまりに素晴らしかった。本来ならドワイヨンも、このフランスのヌーヴェルバーグの血統において見るべきなのだろう。そしてこの血統というならダルデンヌ兄弟の新作『サンドラの週末』(2014)が現代フランス社会の空気を呼吸したヌーヴェルバーグの現在を見せていたのだと思う。結局、俺が触発されたのは、ドワイヨンの再発見というよりもヌーヴェルバーグの再発見だったのかもしれない。他に記しておきたい作品としては、ジャン=リュック・ゴダールの3D映画『さらば、愛の言葉よ』(2014)やエドワード・ヤンの『恐怖分子』(1986)リマスター版、ポール・トマス・アンダーソンがピンチョンの小説を映像化した『インヒアレント・ヴァイス』、A・G・イニャリトゥの『バードマンあるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』(2014)はカサヴェテスの『オープニング・ナイト』(1977)を現代にアップデートしたものとして楽しんだ。『マッドマックス 怒りのデスロード』(2015)や『セッション』(2014)は最高のエンターテイメントだったし、アート系のポーランド映画『イーダ』(2013)も見応えがあった。クラシックでは、ジャン・ルノワールの『ピクニック』(1946)やオーソン・ウェルズの『市民ケーン』(1940)『上海から来た女』(1947)『Mr. Arkadin』(1955)などを復元版映像で見られたのはまさに僥倖というほかない。