2016年3月16日水曜日

ストーリー漫画の描線

海街Diary7所収「同じ月を見ている」より
〈絵画〉と〈漫画〉の違いは、〈写真〉と〈映画〉の違いに似ている。前者が一枚の画面で語るのに対し、後者は複数の画面の組み合わせで語りかける。しかし、重要なのは、メディアが単数か複数かということではなく、その話法が何を表現するのか、ということだろう。漫画も映画も膨大な数の画面を駆使してストーリーを構成するのだから、物語性こそがその本質なのだろうか?でも、物語というのは本来、言葉で語られたものであるし、だとするなら、漫画や映画は言葉の世界を視覚的に再現しているにすぎないのだろうか?ただ、そう考えるのは単純すぎる、と俺は思う。むしろ、ひとつの物語を完成させるかどうかとは別の、複数の画面による開かれた連携を明らかにすることこそが、〈漫画〉や〈映画〉の芸術的探求なのではないか。画面と画面の閾、画面と画面の諸差異が何を生みだすのか?たとえば、吉田秋生の「同じ月を見ている」(海街Diary7『あの日の青空』所収)を読んでいると、上記に抜粋した2コマの画面構成などにハッとさせられるのだが、こうした漫画の物語に混入した異物のようなフレーミング、このシンプルで的確な描線こそが読者の視覚的無意識の領域に鋭く切り込んでいるのだと思う。