2016年4月7日木曜日

フランシス・ベーコン 感覚の論理学

ジル・ドゥルーズ著、河出書房新社、3,000円+税
すでに出版されていた『感覚の論理』は大判の豪華本で、値段が1万円近くしたこともあり、なかなか買えないまま十数年が経ってしまった。でも、その憧れの本がコンパクトな四六判に衣替え、しかも、新訳で再登場!本屋で見つけた時は狂喜して購入した(3年前に開催されたフランシス・ベーコン展の時、よほど旧版を買おうと思ったけれど…)まだ読み始めたばかりだが、期待を裏切らない素晴らしいベーコン論だと思う。というか、美術を媒介に現代哲学の最前線をも活性化させる刺激的論考!たとえば、こんなテキストの断片に唸らされる…
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 肖像画家としてのベーコンは、頭部の画家であって、顔の画家ではない。頭と顔には大きな違いがある。顔は頭部を覆う構造化された空間的組織であるが、頭部は、たとえ身体の尖端であるにしても、身体の付属物なのだ。[それは]精神を欠いているのではなく、頭部は身体にほかならない精神であり、身体的で生命的な息吹、動物精気、それも人間に属する動物精気である。豚精気、水牛精気、犬精気、こうもり精気など…したがってベーコンが肖像画家として追求するのは実に特別な構想なのだ。顔を解体すること、顔の背後に頭部を発見し、あるいは出現させることである。
 身体はもろもろの歪形を経験するが、歪形とはまた頭部の〈動物的特徴〉のことでもある。[ただ]けっして動物の形態と顔の形態の間の一致が問題なのではない。まさに顔は、画面の洗浄やブラッシングの操作を受けて形態を失い、このような操作によって非組織化され、かわりに頭部を出現させる。動物性の刻印や特徴もやはり動物的形態ではなく、むしろ洗浄された部分につきまとう精気であり、頭部を引き出し、顔なき頭部を個体化し規定するのだ。
*[ ]内は引用者が補いました。
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ざっくり言って、顔→頭→身体→動物→生命→精気と、語の意味、語の概念をコロコロ転がしながら、心身の二元論を超克する一元論を展開している、というところだろうか。いやぁほんと上手い。批評の天才!