2016年10月26日水曜日

3.11後の叛乱

笠井潔・野間易通 著、集英社新書、760円+税
反レイシズム運動や反原発運動などで現代市民運動の一角を担う野間易通の体験に、作家の笠井潔が歴史的理論的な注釈を付け加えるといった趣きの論考。本書は二人の往復書簡ならぬ往復エッセイというかたちで書き進められた。笠井氏の考察はとても勉強になるが、読み応えがあるのは、やはり、野間氏の「レイシストをしばき隊」戦記だろう。在特会がヘイトスピーチを撒き散らすことができたのは法的に規制する手段がないため警察がデモ隊を「保護」する立場にあったからで、その在特会の行動を抑止するには後手に回らざるをえない。そこで、どういう戦略を練ったかなどなど…いやぁめっちゃおもしろい!

2016年10月19日水曜日

ベクターボール 2

雷句誠 著、講談社、429円+税
ほんと、おもしろい!でも、俺にはそのおもしろさが説明できない!なので、カバーのイラストをじっくり見てみて!素敵でしょ?!ほんのりファンタジックでロマンチックで古風な温か味もあって、と、『ベクターボール』の作品世界の雰囲気をとてもよく表現していると思います。この第2巻まで読むと、物語の基本設定がだいたいわかるので、今が読み始めるのに良いタイミングかも。『金色のガッシュ!』を正常進化させたというべき、死ぬほど熱く、死ぬほどフザけ、常にその両極をビリビリ帯電させるハイパーエモーショナルな高密度少年漫画!

2016年10月14日金曜日

辺獄のシュヴェスタ 4

竹良実 著、小学館、552円+税
前にも一度記事にした『辺獄のシュヴェスタ』は最新第4巻も絶好調。絵柄はそんなに好きというほどじゃないんですけどね。ストレートな物語が良い。追いつめられた人間がその逆境を撥ね返すパワーって惹かれるし、俺もエラのような闘争心、欲しいっす。てか、自分の意気地のなさを反省しきり。「私たちは知っていく。希望はどんなに遠くを見渡しても見つからないこと。なぜなら、それはいつも、手の中から生まれるのだからということを」

2016年10月12日水曜日

殺人出産

村田沙耶香 著、講談社文庫、520円+税
いや、これは凄かった。タイトルとカバー挿絵と本の薄さ(=安さ&読み易さ)で衝動買いしたけれど、期待以上のおもしろさ。一種の近未来SFだよなぁと思いつつ読み始めて辿り着いたのはバタイユ、みたいな小説でした。正味110ページほどの中編ながら、味わいは濃厚。これ、映像化するより演劇として見てみたい。「世界の変化は止められないわ。いくら叫んでみたところで、『更生』されるのはあなたのほうよ。あなたが信じる世界を信じたいなら、あなたが信じない世界を信じている人間を許すしかないわ」誰か、舞台化してください。見に行きます。

2016年10月8日土曜日

ドロヘドロ 21

林田球 著、小学館、925円+税
『ドロヘドロ』の物語もさすがに終盤にさしかかってきたようだが、スローテンポな語り口は変わらないので、あと2〜3巻は続くかな?(二階堂のキャラを掘り下げるかどうかが不確定要因?)ただ、世の中はいまだ『エヴァンゲリオン』以降のセカイ系センチメンタリズムが席巻しているので、『ドロヘドロ』はその解毒剤として貴重だし、簡単には終わって欲しくないような気もする。この作品の描きだす《人間》《魔法使い》《悪魔》の3種族間の政治闘争に、林田球がいかなる均衡をもたらすのか?ほんとうに楽しみ。

2016年10月3日月曜日

佐野元春によるSEALDs論

ローリングストーン日本版 2016年10月号所収
以下は、ローリングストーン誌の記事「SEALDsはなぜここまで嫌われたのか」(執筆:ジョー横溝)で紹介された佐野元春の見事な、詩文的コメント。「SEALDsは嫌われたんじゃない、怖がられたんだ。いつの時代でも、自由な存在を怖がる連中がいる」という言葉が問題の核心を突いている。

————

「SEALDsはなぜここまで嫌われたのか」

てっとりばやく思う

連中は、疎ましかったんだろう
SEALDsの遠慮のない若い賢さが
SEALDsの希求する刹那が
SEALDsの気ままな無頼が

連中は、目障りだったんだろう
SEALDsの不規則な若い正しさが
SEALDsの粗放な思想が
SEALDsの身軽な自立が

連中は、イラついたんだろう
SEALDsの野蛮な若い誇りに
SEALDsがかばう正義に
SEALDsが描く愛国への憧憬に

SEALDsは嫌われたんじゃない、怖がられたんだ
いつの時代でも、自由な存在を怖がる連中がいる

佐野元春

2016年10月1日土曜日

シン・ゴジラ

第一に、ゴジラが抜群に素晴らしかった。意表を突く変態のプロセスといい、咆哮する獣を象ったグロテスク造形といい、メルトダウンした原発を思わせる禍々しい輝きといい、特撮美術のひとつの達成を見せてくれた。都市の破壊描写も、『巨神兵東京に現わる』からまた一歩進化したのではないか。第二に、偏執的なまでの「国策映画」と化すことで現代日本のリアリズムを担保したアイデアの勝利。アメリカとの隷属関係を暴露しているようにも見えたりして楽しい。ただ、この辺りのおもしろさは日本国外では冗長な表現に受け取られてしまうかもしれない。第三に、膨大なキャストを捌きつつ細かなキャラクターまで味付けされた物語世界。人間ドラマに深みがないという批判を聞いたことがあるが、そんなもの要らないくらい細部に密度があった。初見では消化しきれないし、見直したくなる。…良かったと思うのはまぁこんなところかな…ちょっと不満だったのが、サウンドトラックの完成度。エヴァンゲリオン風のビートの効いた音楽はテンションを上げてくれるし、悪くはないものの、全体的にはもっと洗練させることができたのではないか。特に、これはもしかしたらプロダクションではなく劇場固有の問題かもしれないが、台詞のサ行が耳障りなノイズになってしまっていたのは残念。

政治的去勢に抗う

by Carlos Latuff
「政治的に中立である」って何だ?そんなの、ただの思考停止にすぎない。日本の保守派が教育に政治的中立性を求めるのは、現在の彼らの優位を守るためであり、まさにそういう政治的去勢を期待しているはずである。だが、かといって、左派か?右派か?どっちかのイデオロギーを選ぶのが正しいという話にもならないと思う。まぁ多少勉強すればたいてい自然にシンパシーは生まれるし、その感情を押し殺して「俺中立」なんて物言いで気取ってみせる奴もいるだろう。でも、それでも、既成の枠組みを疑って考えることは絶対に大事だと思う。言い換えれば、それは中立に似ていなくもない「政治を普遍的な視点から考える」ことではないか?もう少し具体的に言えば、「主権」や「人権」などの近代的価値に照らし合わせて日々の問題を考え続けることである。政治的リベラルってそういうことじゃないだろうか?