2016年11月20日日曜日

映画と演劇と音楽と

映画ってのは時間芸術で、演劇って空間芸術なんだよね、という区分はずっとずっと俺の頭のなかに染み付いていて、今でも基本そう考えているのだが、だから、映画は演劇よりもむしろ音楽に近い、というふうに感じたりもした。むろん、映画の一部は演劇の一部でもあるわけだが。そんなある日、フェイスブックのタイムラインに音楽の演奏に関する見知らぬ人のコメントが流れてきて、そこに「瞬間芸術」という記述を見つけた時には、ハッとさせられた。「瞬間」とは一般的には時間軸の任意の点の独立性を指し示すことが多いと思う。ゴダールが言うところの「1/24秒の真実」である(映画のフィルムは1秒間に24コマ進むので、その1コマ1コマが表現の根拠になるという寓意)。だが、それは3次元空間においても同様のことがいえるはずだ。演奏とは、どの鍵盤を、どの弦を、どのタイミングで弾くかということなのだから、つまり、時間と空間のパラメータの一致を生産することこそが瞬間芸術の仕事である。とはいうものの、それはあくまで演奏家の主体意識のありようであって、観客の意識にとってはつかみどころがないものでもあるだろう。そこで、オーケストラの指揮者が試みるかのように、映画監督は時間軸に沿って音と映像に一定の秩序を与え、舞台演出家は空間のxyz軸に沿って言葉と身体の秩序を組み立てることになる。であるならば、指揮者や監督や演出家にとっての「秩序とは何か」という問題もあるわけだが、それはまたの機会に…