2017年1月1日日曜日

刹那の手前で踏み止まる

いや、あっけなく、2017年ですね。
おめでとうございます。
まぁ新年がホントにめでたいのかどうかよくわからないところもありますが。
ぼくよりン十歳年下の友人にしてみれば、景気が良い頃の記憶なんかないだろうし、だから、このオッサン、なに言ってんだ?と思うかもしれませんが、1970〜80年代というのは、まぁ今よりはマシな世の中だったと思います。良い時代ではなかったとしても。
ざっくり言うと、ある程度は経済に余裕があったから、人のココロにも余裕があったんだと思うんですね。もちろん、金と心は別物ですが、互いに大きな影響を与えることも…
おそらくは、グローバリズムとその副産物である経済格差(富裕層と貧困層の2極化)が世界のねじれとなっているのが現代。富める国と貧しい国があるだけでなく、富める国の中にも富める人々と貧しい人々が生まれた。日本なんて一時は「一億総中流」と言っていたはずなのに!
その結果、共通の体験や価値観に亀裂が生じることにもなった。主権や人権が軽んじられ、差別的な行為や暴言が横行、独裁権力への服従を唱える者すら登場し、政治の舞台は煽動目的のデマゴギー劇場に…というカオスを招いているんじゃないか。「最大多数個人の最大幸福」だって?そんなの夢物語じゃん!と、近代を牽引した「理想の言葉」もすっかり色褪せてしまったわけです。
ただ、真に悲劇的なのは、われわれ自身が自暴自棄になってしまうというか、そんな刹那の思想を拠り所にしてしまうことじゃないですかね?
それは貧困層に限った話ではなく、富裕層や中間層にとっても社会が安定しないので没落への不安は拭えず、一方、ISに象徴されるようなテロへの恐怖は増すばかり、防衛心理が分厚い塗り壁のように人々を分断してしまっているような気がします。
しかし、それにしても、近代の理念はすべてご破算になってしまったのか?
「可能性は尽きてしまった」と語るのは、サミュエル・ベケットだったかジル・ドゥルーズだったか忘れましたが、ただ、その言葉の射程は死の傍らに揺らめく無時間の宇宙であり、そこが再生の鐘を打ち鳴らす場所である、というふうに、ぼくは考えています。それはもう近代と呼ばれる何かではないかもしれないけれど…
はっきりしているのは、なんとしてでも、みなが刹那の手前で踏み止まることではないでしょうか?
2017年がその第一歩になりますように!