2017年1月16日月曜日

ゴダール以後のソニマージュ論

今年は自分の映像作品の上映をやりたいなと思っているのだが、単なる上映会じゃなくて、ある程度コンセプトをもって断続的にやってみたい。むろん、今年以降も見据えたものとして。

ざっくりいうと「ゴダール以後のソニマージュ論」という感じだ。

ゴダールというのはジャン=リュック・ゴダール、俺がもっとも影響を受けた映画作家である。彼の作品は、映画を構成する映像と音響の可能性を書き換えたといえる。たとえば、ピアノを弾く映像があれば、そこで弾いている音楽を流すのが物語映画のセオリーだが、そうではない音響を結びつけることで映像表現の新機軸を打ち出したというか、そういう映画の基本的構造を問うような実験を続けてきた作家である。

「ソニマージュ」という言葉はフランス語のson+image(音+映像)のことで、この実験がとても大事だと思うのは、それがわれわれの使う日常言語の構造と同じだからである。たとえば、「ウミ」という音声は「波打つ巨大な塩水湖」の映像と結びついて「海」という言語になる、という説明でピンと来るだろうか?われわれは日々、言語を使って生きているので言語構造の自明性を疑うことはほとんど、ない。むしろ、言語に振り回されるようなことならあまた、ある。その言語の牢獄から自由になることを彼の映画は教えてくれる。

ただ、ゴダールも歳だ。1930年生まれだから、今年で87歳。映画作家としてまだ現役とはいっても、1990年代以降の作品は次第に内省的な作風になったし、いつまでも彼個人の前衛性や独創性に頼っているわけにもいかないだろう。その一方、現在の映画の主流は、いまだ音と映像の一対一的統一的世界観を前提としたものだし、だから、ゴダールの試みも例外的な存在のまま…

ゴダールの子供として映画を見てきた者としては、このソニマージュの方法論を根絶やしにしたくないという思いもあり、映像製作上の思考も自然にソニマージュの創造性に反応してきたと思う。

その意味で、ゴダール以後の映画の未来を語るような上映をやりたい。