2017年1月22日日曜日

自由は積み重ねられていく

Carlos Latuff
芸術文化はビジネスではない。エンターテイメントとして商品化されることがあるにしても、その本質的目的は作品を作ったりすることや作品を見たり聞いたりすること、そうした行為や行動の純粋性にあるのだからビジネスとは別物である。また、その行為は純粋であるがゆえに、特定のイデオロギーには拘束されない。既成のイデオロギーが孕む言説と芸術表現の扱う言説とが偶然一致するにしても、イデオロギーそのものが芸術を生みだすわけではないからだ。すなわち、芸術の純粋性は自由の創出に与する。こうした芸術文化の特性に社会的意味があるとすれば、それは自由の観念や概念を定着させ、自由の感覚、自由の感情、行為、行動、信念を育て、自由の新たな空間を構築することだろう。一方、これまで「自由の国」であろうとしてきたアメリカ合衆国の新大統領が芸術文化への共感を示さず、制度化されていた国家的経済支援を打ち切るのだという。むろん、芸術文化への偏見や自由の抑圧ということなら、日本社会も負けてはいない。自由なき暗黒の時代は、われわれのすぐ傍にある。そのうち「第二次世界大戦という死の時代以後に奔出した自由や平和、共存や繁栄への希求はついに枯渇し、人間という種はその自死的自滅的局面に再突入した」なんて呪いの言葉を吐く者も現われるかもしれない。だが、そんな戯言に騙されてはいけない。百年も生きることないちっぽけな個人が運命論に踊らされることの愚かさを。数千年の人類の血塗られた歴史のもとに自由は積み重ねられ、この現在があるのだということを。闘わずして、自由の獲得もないのである。