2017年2月1日水曜日

リベラルの戦法

Carlos Latuff
保守派論客の仕掛ける議論をふりかえると「現実」はこうなんだからこれこれこういうことも仕方がないでしょう?と相手を言い含めるように諭すやり方が主流であるように思う。だが、その論拠となる「現実」は絶対的なものではなく、論者によって、しばしば恣意的に、自己の権益を守るために、選ばれたものである。だから、その「現実」の基準線をめぐる闘争こそが政治の実質なのだ。保守派に対抗するリベラルとしては、多種多様な「現実」の提示によって政治的強者の示す基準線を揺るがす必要がある。これはサッカーゲームに喩えるのがわかりやすいと思うが、われわれリベラルが得点するには保守派のオフサイドトラップを破る必要があるのである(その意味において、リベラルはやはり「自由派」と呼ばれるべきなのかも)。米国の新大統領ドナルド・トランプがメキシコとの国境に壁を築こうとし、イスラム諸国との人的交流を制限する法令を強制執行しようとするのは、ある意味当然の帰結だろう。自己の領土に単一の包囲線を引くことこそが保守派の本性だからである。そうなると、余計にリベラルは個々自由に流動的に動かねばならなくなるが、その一方、コレクティブな理念や感覚や感情を失ってもいけない(でないと、保守派の巧妙なトラップにひっかかるだけだ)。そのコレクティブな統制原理となるのが主権や人権や平和主義なのである。