2017年3月4日土曜日

「歴史戦」とは何か


いま話題の森友学園=塚本幼稚園の運動会で園児たちに宣誓させているのがこんな台詞。「大人の人たちは、日本が他の国々に負けぬよう尖閣列島・竹島・北方領土を守り、日本を悪者として扱っている中国・韓国が心を改め、歴史で嘘を教えないようお願いいたします。安倍首相、ガンバレ!安倍首相、ガンバレ!安保法制、国会通過よかったです!」

ここで興味深いのが「日本を悪者として扱っている中国・韓国が心を改め、歴史で嘘を教えないようお願いいたします」という一節である。歴史の嘘とは具体的には、中国なら南京大虐殺、韓国なら従軍慰安婦といった問題を指しているのだろう。これらの歴史的事実の真偽に対して、日本の右派は「歴史戦」なんて言い方をするし、左派はそれは右派の「歴史修正主義」だと反論する。その意味で、右派は国外のみならず国内にも「歴史戦」を仕掛けているといえる。

こうした右派の「歴史戦」は1990年代後半あたりから目立ち始めた印象がある(「新しい歴史教科書をつくる会」の設立が1996年)のだが、俺は当初は鼻にもかけていなかった。しかし、保守派論客が注目を集め、政治運動としても草の根的に続けられられてきたらしく、公式には異端のまま安倍政権の政治思想と合流することになった。そんな右派の努力を甘く見ていたことは切に反省しなければならないし、彼らの見解にも一定の存在理由があるからこそ長期にわたる政治運動の基軸になったのだろう。

たとえば「中国脅威論」というか「中国が攻めて来る」というイメージが日本の右派のみならず日本人一般にも潜在的にあるのだとすると、それは第二次大戦で日本が中国に攻め込んだ歴史の意趣返しということになるのではないか。南京事件はその象徴的事例だ。《どうも昔、日本の軍隊が酷いことをやらかしたらしい…やつら(中国)はいまだにそれを非難する…きっとそのうちやりかえそうと思っているに違いない》だから、事件の死者数という確定困難な部分に過敏に反応し、その曖昧さを理由に、歴史の事実をまるごと闇の中へ葬ろうとする。そんな歴史修正の言辞がいかに現実を無視した傲慢なものであろうとも、自分が手を汚したわけでもない過去の罪を背負うのは嫌だ、復讐の刃を避けるためにも致し方ない、というわけだ。

このように真偽をカッコに括って心理的要因を推察するなら、歴史修正主義というのもごくありふれた防衛機制のひとつにすぎないように思える。すなわち、その歴史の修正像は、そうあってほしいと願う者の期待の投影であって、当然、国際社会で通じるものではない。結局のところ「歴史戦」とは対中国・対韓国の戦いではなく、日本人自身の内なる戦いなのである。