2017年4月22日土曜日

午後8時の訪問者

La fille inconnue (2016)
『午後8時の訪問者』には冒頭からグイグイひっぱられた。そのサスペンスのストーリーに、という人も多いだろうが、俺はまずなにより技術力の高さに「すげぇ!」と驚きっぱなしだった。ダルデンヌ兄弟というのは手持ちカメラでドキュメンタリータッチの作品を撮る作家で、たとえば、ラース・フォン・トリアーが手持ちカメラで人間心理の暗黒面を暴きだすとするなら、ダルデンヌ兄弟は人間のいわば神的受難を語り継ぐ、なんていえるだろうか(フィルモグラフィのごく一部を見た程度の適当な要約、ご容赦!)。ただ、前作『サンドラの週末』は、メンタルに問題を抱えて休職していた女性がやっと復職しようという直前にリストラを宣告され、逆境のなか解雇の撤回を求めて奮起するという物語だった。だから、その受難の本質はあくまで社会制度に帰属するものの、そこでもまた神話的距離感とでも呼びたいクールな眼差しを内包、映画ならではの繊細さや自然さ、鋭さ、力強さを引きだしていたと思う。そして『午後8時の訪問者』ではサスペンス映画のストーリーに挑戦することになった。これがまたすごい。サスペンスらしくスピーディでテンポ良く話を進めるなかカメラもよく動き、役者の素早く複雑な動きを追って長回しを繰り返す。カメラを動かさなければ長回しもそこまで難しくないのかもしれないが、手持ちで動かしながらその間、的確なフレーミングを持続するというミッションが加わると、ほんとうに大変だと思う。なぜなら、流動的な動きのなかで、役者とカメラマンと監督、三者の意図や思考や感覚が一致しなければならないからだ。そんな現実的技術的困難が透けてみえるにもかかわらず、的確なフレームがビシビシ決まっていたので、もう感嘆するよりほかなかったのである。ただ、こうした技術論だけでいくら讃えようとも、この映画の真価を語った気にはなれない。『午後8時の訪問者』の主人公ジェニー(アデル・エネル)は、とある殺人事件の名もなき犠牲者を埋葬するためその身元を探るという、いわば「探偵」を始めることになるのだが、その一方、そこに彼女の本業である「医師」としての行動も絡んでくるからややこしい。二つの任務に共通する視点は、おそらく他者の「救済」であり、ここでもまたダルデンヌ兄弟による人間の受難に関する一考察がみてとれるだろう。そしてその「救済」行為は、時に、相手のプライベートな問題にまで足を突っ込み、激しく抵抗されたり、逆に脅されたり、遂には知りたくもない悲惨な事実まで知ってしまうことになる。こうした物語の二層のレイヤーを複雑に横断するさまが、手持ちカメラで迫るジェニーのアクションを通してシンプルに統合され、ダイナミックでスリリングな映画的身体を練り上げているのだ。それにしても、ラストのさりげないカットはあまりに感動的というほかない。技術など関係ない。俺はそこにこそ映画の魂が宿るのだと思う。