2017年6月22日木曜日

思想なき国ニッポン

Carlos_Latuff
それにしても小池百合子なんかが、けっこうマジに人気があって愕然とする。彼女、ゴリゴリの右翼で日本会議のメンバーだし、でも、東京都民はあまり気にしないらしい。まぁ石原慎太郎に4期も知事をやらせたくらいだから不思議じゃないか。ただ、だからといって東京都民の大半が右翼思想支持かというと、たぶん、そうじゃない。それで、いろいろ考えたのだが、結局、東京都民ひいてはもしかしたら日本国民って、思想はもってないけど「右翼っぽい態度」が好きなのかも、と思った。橋下徹とかもそうだよね。中身はチャランポランなのに「断言する」人に惹かれる。でもさ、それってほんとヤバい。石原知事は東京をメチャクチャにして逃げて行ったし、小池知事も豊洲問題をごまかしかねない。で、逆に言うと、最近「左翼」というレッテルが悪口になったりするけど、あれもたぶん「左翼っぽい態度」なんだろな。悪口自体に中身はなくて、実質「(俺の好きな安倍首相を批判する)お前が嫌い」の言い換えだったりする。そこに思想なき国ニッポンの難しさがある。でも結局は、地道に思想を育てないといけないんだと思う。それは特定の思想を教育するという意味ではなく、個々人が「主体」をもつということ。主体というのは責任の所在であり、そこを土台にして物事を学んだり世界についての想像力を働かせたりすること、かな。まぁ主体というのは近代の概念だから近代思想ではあるけれど、現代社会が近代システムで動いている以上、基礎概念として扱うのはいたしかたない。その上で、近代批判を積み上げていく必要もあるとは思うけどね。

2017年6月19日月曜日

佐野元春 & COYOTE GRAND ROCKESTRA

DaisyMusic、3,056円+税
春に、ちょっと前衛的なSpokenWordsのライブに行ったので、最近のロックンロールライブはどんな音を鳴らしているんだろうと、2016年3月26日東京国際フォーラムの演奏を収録したCDを購入。
まぁ久しぶりに聴くといろんな感情が溢れちゃって簡単にコメントできませんが、あまり意識してなかった「WildHearts—冒険者たち—」って、これ名曲じゃん!と思ったので、YouTubeの動画をリンクしておきます。
なかでも「彼女は今うつむいてる/言葉が闇をすり抜ける/ひとつのキス、重ねるごと/静かな雪が降り積もる」から「すべての〈なぜ?〉にいつでも/答えを求めてたあの頃/いつか自由になれる日を/あてもなく夢見てた」にいたる、歌詞がグルーヴの効いた流れになって最後解放される感覚がたまらんです。

2017年6月17日土曜日

ミズウミ

作・演出:屋代秀樹 出演:瀬戸ゆりか、袖山駿 ほか
初めて見た日本のラジオの作品は『ゼロゼロゼロ』だった。舞台空間の使い方が抜群だった。予算をかけるのではなく、想像力を使ったそのやり方が凄い。小屋は池袋のスタジオ空洞。雑居ビルの細長い空間の上手と下手に出ハケがあるという造りで、上手の外に当たる空間、中央のアクティングエリア、下手の外に当たる空間、と三分割して考えるなら、その三空間の重要性がまるで均等であるかのように物語を紡いでいた。お話自体はいわゆるヤクザ物だから、暴力と生死の問題を扱うことになるので、この三つの空間が、生の空間、生と死の接する空間、死の空間、とそれぞれ割り振られる。そして物語の進展に応じ、生死のせめぎあうボーダーラインが三つの空間を移動するという構造。サスペンスの仕掛けとしてこんなに洗練された芝居を見たことがなかったので、本当に驚いた。まるでヒッチコック映画のようだ。

『ミズウミ』もまた日本のラジオならではの空間芸術の粋を見せてくれた。小屋は御徒町のギャラリーしあん。古民家の居住空間である。ここは庭園もあるので、その庭と室内をどう絡めて使うか、が肝要にもみえるし、実際ここを使う劇団のほとんどが知恵を絞るところだろう。『ミズウミ』でも効果的に使っていたが、ただ、それは必ずしも本質的な装置ではなかった。むしろ、古民家の古さこそが、その場所の歴史性、時間の底に沈んだ謎の保管所として大事だったと思う。ここでは『ゼロゼロゼロ』のような意味論的分割もなく、古民家というか、古屋敷の一室でほぼすべての重要事が描かれる。

だが、芝居が始まるやいなや『ミズウミ』の世界は別のかたちに分割されてしまう。一冊の日記帳によって「昭和の終わり」と「平成の終わり」に、である。『ミズウミ』に描かれる物語の大半は昭和の終わりを舞台とした幻想譚であり、その記録が書かれた日記帳の読み手である平成の人間が、舞台空間に共存するという構成をとっている。

ところで、この芝居を見ているうちに、ひとつのことに気づかされた。それは真に劇空間を分割したり、再結合したりするのは、舞台のセットや脚本上の設定ではなく、もっと深いところに言葉が存在することへの驚きであり、それこそが演劇作品のイメージの源泉なのだということ。その言葉の力を使って『ミズウミ』が語るのは、小さな湖を大きな海に結合するための魔術的方法であり、その秘法に触れるため、われわれ人間は人間自身の内奥に深く潜らねばならない、ともいう。人間個々人は小さな存在に過ぎないが、その小さな記憶の集積回路には時間と空間を超え、大海へとたどり着く可能性が眠っているのである。

劇中、小鹿スドウは言う。

「そう、昔はただの湖だったのが、ある日突然塩湖になったという話が伝わってるんですよ。だいたい明治初期くらいですかね。突然、まるで海の水が流れ込んだかのように」

2017年6月13日火曜日

大本営発表


辻田真佐憲 著、幻冬社新書、860円+税
素晴らしい本だった。とはいっても、読み終えて、ドーンと重い気持ちにさせられてしまったが、それは日本のメディアと政治の癒着がいかに悲惨な命運を辿ったかということを、史実に基づき、坂を転げ落ちるかのような必然として立証したからだと思う。現実の残酷さをまざまざと思い知らされた、というか。普通の読みものであれば、いかに「大本営発表」がデタラメだったかに焦点を当てるだけでも良かっただろう。だが本書は、なぜそんな報道になったかという本質的な原因とその後の推移を逐一検証していく。なので、読み進めるうちに、現代の日本社会だって何も変わってないじゃないか、という気がするのだ。たった一つの発表が正確性を欠いたって大きな問題にはならない。だだ、それが常態化することの恐ろしさ。もともとは、日本軍も連戦連勝していたため戦果を粉飾する必要もなかったのだが、戦況が変わると、次第に大本営自身も正しい戦況を把握できなくなった。そのため重大な戦略判断まで誤り、みずから自滅の沼に足を突っ込んでしまったのである。そんな大失態をわれわれは戦後も犯している。まだ記憶も生々しい3.11によって露呈した原発政策のことだ。日本政府が世論を誘導して築き上げた安全神話の常態化が、原発の致命的な電源喪失を招いたのだから。それにしても、戦争末期の特攻礼讃や本土空襲、原爆投下などの悲劇は、まともな報道さえ機能していれば回避できたかもしれない。太平洋戦争の日本軍は、正しい情報を失い、まるで盲目の狂犬のように敵味方かまわず襲いかかっていたのである。

2017年6月11日日曜日

フォアローゼス プラチナ

いつも家に常備しておく酒には、ビール、日本酒、芋焼酎、紹興酒、赤ワインなどがあって(基本、食中酒)、あと偶に飲むバーボンがある。バーボンはその樽の香りが好きなのだが、2,000円を切るような廉価なものは、舌が少しピリピリし、なかなか減らなかった。そこで、ちょっと高級品を試してみようと思い、これを買ってみた。一本、約7,000円する。が、さすがである。まろやかさは半端なく、とても飲みやすい。口にする頻度も以前よりずっと増えた。買ったのは去年で、最近飲み切り、そこで、またプラチナにしようとも考えたが、他にも飲み比べてみたくて、買い直したのは結局フォアローゼスのブラック。こちらは約3,000円である。たしかに、安いバーボンと高いバーボンの中間くらいのまろやかさだろうか。ちなみに、プラチナは日本向けの限定生産品らしい。なるほど、そうかもね。ただ、ピリッとした刺激もそれはそれで味わいの一つだし、不味いとは思わない。まぁ好みというほかないでしょう。値段のことを考えると、次もブラックになりそうな気もするが、ウィスキーは開封しても味が劣化しにくいし(自信ないけど、そうだよね?)その時の財布と気分と、相談して決めようと思う。

2017年6月6日火曜日

スピーカースタンド導入!

LS-EXA3
「スタンド」とはいっても、ご覧の通り、木製の台座にインシュレーター(絶縁体)を取り付けただけのものである。インシュレーターというのは、スピーカーの下に置いてその振動を緩和するもので、今まではこんな安価なやつを使っていた。
ただ、これって、すぐホコリ塗れになってしまう。それでも掃除をすると、こんどはスピーカーの下にバランスよく配置するのが意外にめんどくさい。ちょっと触れるとズレるし、あるとき、どうせ音質なんてたいして変わらんだろうとタカをくくって外してしまった。でも、いざなくなってみると、妙に音が気になる。フローリングの床ごと音が鳴っているような気がするのだ。そこで、このスタンドを買った。
スピーカーに履かせるとこんな感じ。たしかに床が鳴ってる感覚は解消され、音全体も安定したような、気が、する。本来なら、ここで以前のインシュレーターを使った場合と聴き比べてみたいところだが、差がなかったら嫌なのでやってない… ^^;
でも、地べたに直接置くのとは明らかに違うと思う!