2017年10月7日土曜日

カーテン

日本のラジオ『カーテン』の他の観客の感想で「気持ち悪い(のが良かった)」という文言をよく見かけるんだけど、俺にはそれがさっぱりわからん。いや、わからんわけではないのだが、俺にはむしろ、たまらなく気持ち良い。屋代秀樹氏の他の作品と比べても、物語の断片化が強いからかなぁ。登場人物が心情吐露するような流れがあっても普通10で語らせるところを7とか8で断ち切るかのようにして別の話につなげてみたり。今回の三鷹市芸術文化センターは空間がそこそこデカいから、最初から多数のダイアローグシーンをモザイク状に配し、それらをどう連携するかというパズルで遊んでいるように感じた。たとえば、アイスキャンディの使い方とかね。あれもほとんど言葉遊び的で、あのアイスがメロン味だろうがマンゴー味だろうがチョコミント味だろうがその正解はおそらく措定してなくて言葉のやりとりだけが空疎に空虚にしかし真摯さを失わない程良い熱量をもって交わされる。そんな、冷たいのに熱い、熱いのに冷たい、という感覚が「気持ち悪い」の正体なんだろうとも思うが、なかでも特にユーモラスなのは、武装勢力によって占拠された空間に閉じこめられた人質たち。事件の渦中にあって、誰一人として脱走を試みたり、生き延びるための方策を練ったり、不安に慄いて取り乱したりもしない。むろん、別のことでも考えなきゃこんな状況に耐えられない、冷静を装っているだけなのだと弁明はするけど、その現実逃避によって生まれた生煮えのような劇的空間に、囚われ人たちが背負っている記憶の破片が流れこむというのが、たぶん、この作品の仕掛けの構造。そのひび割れた言葉は故郷の〈島〉の土地に埋めてきたはずの愛や憎悪や幾ばくかの悔恨の情にも彩られて鈍く輝き、次第に辺りに大地の匂いがたちこめ始める。物語が進むにつれ、おそらくはあのテロリストたちも、というか、あのテロリストたちこそが真の囚われ人であるという事実が浮かび上がるわけだ。〈島〉vs〈陸〉という政治的磁場から無縁の外国人だけが自由奔放にふるまうことが許される、出口なしの空間。その牢獄を破壊することのみが囚われ人たちに残された最後の抵抗なのだろう。そんな、熱さと冷たさが混じりあう、過去と現在の交錯する歴史の末端にわれわれは生きている、と『カーテン』は語りかけているのだと思う。